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2020年03月30日16:21

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志村けんの死はギャグとして笑ってあげるべきところなのか

コメディアンの志村けんが亡くなられた。
享年70歳。
新型コロナウィルスへの感染から、重度の肺炎となっての病死だそうだ。
まさか、たった2000人足らずの感染者、たった60人足らずの死者の中に、志村けんが入ってしまうとは。
訃報を聞いたとき、愕然としたし、悲しくも思った。
惜しい人物を亡くしたと、喪失感も覚えた。
だが、ふと思う。
志村けんはかねてから健康に支障をきたしており、昨年には病院へ緊急搬送されたりもしていたという。
聖火ランナーをやるとのことで、最近は健康に気を使っていたそうだが、趣味(?)のガールズバー通いだけはやめなかったそうだ。
コロナ警戒ムードの中でも。
そして、コロナに感染して亡くなった。
自分はコロナ自粛賛成派ではないし、感染者も死亡者も少ないコロナの症状を脅威とは思っていない(コロナ警戒ムードには脅威を抱いている)から、志村けんの行動を非難するつもりは全くない。
だが、コロナ警戒ムードに同調する世間から見れば、無名の一般人がこれをやったら「半病人も同然の老人のくせにガールズバーに通い詰めてコロナに感染して死んだ自業自得の馬鹿者」としか映らないのではないのだろうか。
志村けんだから馬鹿にはされず、惜しまれ哀悼されているのは、想像に難くない。
あるいは志村けんも「コロナなんて怖くない、コロナへの警戒なんて馬鹿馬鹿しい」と、平気でガールズバーに通っていたのかもしれない。
でももしかしたら、「これで自分がコロナで死んだらコメディになるな」と思っていたかもしれない。
稀代のコメディアンとして、自分の死まで笑いをとろうと、命を張ったギャグをやっていたのだとしたら。
ひょっとしたら、思いっきり笑い飛ばしてあげることが、スーパーコメディアン・志村けんへの追悼として相応しいものなのかもしれない。

「顔で笑って心で泣いて」

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