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2020年03月29日22:33

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剣豪将軍 足利義輝の実際

足利義輝将軍だが剣豪将軍として有名で戦国時代は鎧兜を身にまとっているので、甲冑の隙間である首や手首の部分を切らないと相手に傷を与えられない。そんな条件下で相手を60人近くも斬り倒したいうエピソード’(誇張だろう)もあるから、義輝の気迫と剣の凄さは尋常ではなかったらしい。あまりの強さに最後は銃で仕留めたとか、槍で足をすくって倒れたところを斬ったなど諸説ある。

足利義輝は剣術に熱心で、たまたま上洛していた剣豪・塚原卜伝に教えを請い、卜伝から奥義を伝授された。しかし、これだけでは満足せず、新陰流の上泉信綱をも招き、さらに腕を上げた。

1565年、松永の兵が京の義輝邸を襲撃する。義輝は、秘蔵の名刀をすべて抜き、畳に突き刺していく。人を斬った刀は、人間の脂がつき、次第に切れ味が悪くなる。そのときに、すぐ代りの刀を手にできるようにだ…

剣の腕前は本物だった。襲撃兵たちは次々に斬り倒されていく。30人以上を倒したというから、江戸時代なら本当に暴れん坊将軍になれる人だった様だ。しかし、さすがの剣豪将軍も疲れの色が見え、ついに足元がよろめいた瞬間、敵兵がその足元を長槍で払った。

義輝は倒れてしまう。そこに敵兵たちが、次々と襖(一説に杉戸)をかぶせ、身動きが出来ないようにしてから、その襖ごと槍でめった刺しにして、ついに義輝を仕留めた。そして、義輝の集めた名刀も散り散りになったというから本当は剣の腕は将軍でなければ流派を建てられただろう
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