mixiユーザー(id:1404517)

2020年03月19日00:29

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普通学級じゃなくていいじゃなーい

差別と区別は別もの
公平と平等だって違うのよ

普通の子と同じように生活出来ないのに
「普通」であることを求められる普通の学校に入れられることは、
果たしてその子のために本当にプラスになるのかな?

わたしは、身体障害があったわけじゃないけれど
いわゆる発達障害のボーダー・・・というか発達障害だった
と最近診断された。
子供の頃のことを考えたら
あ〜やっぱりなぁ・・・と思ったわけだけれど、
普通を求められることは、私にとってプラスになったとは思えない。

申し訳ないが、何ていうかな・・・
なんで専門的な配慮の出来る学校を否定するのかな。
そこには、その子のためになるような友達は居ないって言える?
この子の親のほうが特別支援学校を差別してない?

他のメディアで
>母悦子さん(50)は意見陳述で「地域の小学校で学ぶことで多くを吸収できると確信している」と述べた。

という記事をみたけれど、
そりゃ、あなたの息子にとってはそうだろうし、
親から見ればそうあって欲しいと思うでしょうよ
でも、受け容れる側の学校やクラスメートはどうなのかな?

そりゃあ障害のある子と接点を持つことは
障害のない子どもたちにとってプラスになることもある。
でも、それだけじゃないよね?
障害のない子たちの中にいれるということは、
まわりの皆から一方的に配慮をされることのほうが多いのだ。

友だちだから?
そりゃそういう気持ちは大切だけど
重度の障害を持つ子を受け容れることは、
手間もお金も、設備も必要なことで、
それはその周りの人たちにとって
「些細なこと」なんかでありはしない。

そして普通の小学校の中で生活する限りは、
学校でやることは、障害のない子用の教育内容だ。
周りの子たちがどんどん出来るようになることを
同じように出来るようにはなれない生活がつづいたり、
専門の学校で、支援を受けてトレーニングすれば出来るようになることを、
その機会を奪われて出来るようになれない可能性すらある。

この子のミオパチーは写真を見る限りかなり重症。
呼吸障害もあるのだったら尚更のことだ。
厳しいことを言ってしまえば
『恒常的な配慮』がないと、命を失う可能性もある。
些細なことでクラスメイトが命を失ったり病気になったとき
その現場に関わった子どもの心に傷を残すこともあると思うよ。

それを「普通学級に」とゴリ押しするのは如何なものだろう。

この子のご両親と私は別の人間だから
考え方はいろいろ違うんだろうと思うけれど、
私は何せ、息子の担任の先生に
「なんでもかんでも『普通』に出来ないとダメなんですか?」
と食って掛かった女である。
学校ってのはそういうところなのである。そのほうが普通。
平等や普通なんてクソ喰らえだと思っていても
現状の公立の学校教育なんてそんなもんである。

わたしはそれぞれが自分の能力にマッチする環境で教育を受ける
というのが、公平に教育の機会を与えられる・・・ということだと思う。

親の願う「普通」に我が子を押し込むのは、
子どもの成長や幸福につながらない。

何でも「平等に」っていう考えは
何かが歪んでいる

■普通小への就学認めず=重度障害者側敗訴―横浜地裁
(時事通信社 - 03月18日 19:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6013922
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