「人の義と神の義」
《Now watching 1441》
9001.teacup.com/sfk/bbs/20911 (写真入り記事)
伝道をしていると、いきなり僧侶がやって来て仁王立ちになって托鉢をはじめました。
僧侶の言い分は、「ここは俺の場所だぞ!」。
私たちの言い分は、「私たちの方が先にやってたんだぞ!」。
「盗人にも三分の理」と言われますが、両者に義がありますが、それは人の義です。
神の義は違いました。
「釈迦に説法」という言葉がありますが、「坊主に福音伝道」しました。
「新しく生まれなければ神の国に入れない」「修行くらいで救われるほど人間の罪は甘くない」など、大衆に説教を語るようですが、僧侶に福音に応答するようにチャレンジしました。
目の前に立ったということは、じっと聖書の話を聞かなくてはいけません。
歯を食いしばって、「負けるものか!」と力んでいるように見えました。裁くのではなく、「救われてほしい」と、宗教家同士同じ目線で語りました。
音楽をやっていると、僧侶が手で持っている托鉢の鉢にお金を入れる人がたくさんいました。
私たちが人を寄せて、お金が入ると僧侶は、チリンチリンと鈴を鳴らして祝福するので、複雑な気持ちになりましたが、お互い負けて勝ったことになり、WIN-WINで満更でもないのではないかと感じます。
人の義には勝ち負けがあり、「自分が正しい!」と見下し、争いになりますが、神は、互いに愛し合い、許し合い、仲良くできるようにして下さるのですね。
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