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2020年03月11日11:20

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東日本大震災から9年目。

本日は東日本大震災から9年目を迎えました。
予定では近隣の千葉県旭市飯岡にて津波の被害に遭った方々の供養を含め旭市の式典に参加するつもりでしたが、新型コロナウィルスの蔓延による式典中止で取りやめました。
せめて10年目の今日は旭市の式典に出席したいと思います。
この旭市飯岡の津波は4mほどの津波でしたが、地震発生後2時間くらい後に第一波が来て、第一派後に自宅に戻られた方が第二波の被害に遭いました。
14名の死者、2名の行方不明者でした。
千葉県全体で20名の死者ですから被害の想像が出来ると思います。
たまたま二階にいた方は無事。
一階にいた方々が波にさらわれました。
同じ様な状況を岩手県陸前高田市でも観ました。
5階建てマンション?公団の4階迄は流されて窓枠意外何もない。
5階だけ日常と変わらない。
たった数十センチかそこいらで命の線引きがなされた現実を観ているのであとから知った千葉県旭市飯岡の津波に関しては胸が痛くなります。
今朝は先ず亡くなった仏さまに喜んで頂ける様、お酒、お茶、天然水、ポカリ、おにぎり、唐揚げ、卵焼き、おはぎ、キャラメル、あとボランティアの際に差し入れたコアラのマーチを仏前にお供えして、長行の読経と唱題をさせていただきました。
コアラのマーチを選んだのは、避難所で暮らしている母子などがコアラの絵を通して会話の材料になればと頭を捻った結果です。
亡くなったロッテの会長様には感謝致しております。
戦後の苦労を偲びます。
時点が森永のキャラメル。
歯の詰め物が取れたら大変という意見から当初は第一候補のお菓子でしたが考え直しました。
当初ボランティアに行くとミクシィで発表すると一番近くの親友が猛反対。
それを身を挺して守り反論してくれたのが中学時代のバリバリの不良だった友達。
大変ありがたく心強い応援でした。
本当にありがとう顔(笑)
ミクシィには報告書が記録されていますが、人生観を変える出来事だったと言えます。
いつまでも忘れずにだけども前に進まなければならない生かされた私たちは今、100年に一回の疫病の最中にいます。
得体が知れないからこそ怖い。
でももし人生を 50年過ごしているのなら、何の未練があろうか?
惜しむらくはこの国の行末を見られぬ事。
死を受け入れる覚悟さえ出来ていれば、どんな最後であれ怖くは無いんです。
これは武士道にも通じます。
だからこそ、目が覚めたら感謝して、眠る前には神仏にお礼を伝える。
僕の日常です。
正直に申せば、借金も出来ない様な子たちの面倒を三人ほどみています。
おかげで毎月、今月のやりくりで頭を痛めておりますが、不思議とやりくりができている。
本来なら2018年の秋、広島市行きで破綻しているはずが今日迄持ち、流石に今月は回らないと思っても奇跡が起きる。
神仏の加護があればこその日々です。
来年は、飯岡、相馬市、石巻市、陸前高田市と周りたいと思います。
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