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2020年02月24日23:56

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こくら、いったこと、かいてみます

さて昨日に書いた小倉城のことですが、ライブ会場から歩いて一五分くらい、宿にしていたところからも同じくらいの距離でした。

九州と言うと熊本城しか行ったことないので、どんな城だろうと考えつつ、宿を後にして向かいました。
ほどなくして、木々に覆われた敷地の中からお濠と天守閣が見えてきました。

小倉藩は、石高でいうと一五万石くらいの中堅な家ですが、その割に実戦的と言うかいわゆる居館(パレス)と言うより、城塞というに相応しい威容を発していました。
そして敷地内にある庭園などに入って色々と由来を聞いてみると、私が見たことがある熊本城といくらか縁のあるお城でした。

と言うのも、現代に残る小倉城の天守閣を造らせたのが、のちに肥後(熊本県)を治めることになる細川家だったからです。
現に、城の入り口には●が九個集まった「九曜紋」を掲げていました。
九曜紋は、細川家の家紋として、現代にも伝わっています。

関ヶ原の後、小倉の地を家康より任された細川忠興は、関門海峡に近く、また物流などの拠点にもなる小倉の地を重視し、大規模な縄張り(工事の計画)を行いました。
小倉の周囲を流れる川を天然の堀にして、城の周囲を周到に整備し、大規模な要害の都市としての役割を持たせたんですね。
周囲を覆う堀を含めて城郭と考えたら、小倉城も周囲およそ八キロメートルに及ぶ広大なお城だったと言えます。

ここで強調したいんですけど、「お城」って簡単に天守閣だけを指すものじゃありません。
確かに、見た目の象徴として天守閣って存在しますが、はっきり言ってソレだけじゃ長く持たないし、あっという間に攻め落とされます。
まさに、家康が大坂城で証明して見せたように。

周囲の堀や城郭まで含めた範囲を指して、「城」と言えますし反対に天守が残っていなくても堀や石垣の跡があれば間違いなくお城です。
もっとも、玉縄城みたいに、ほとんど破棄されてしまってどんなお城かよくわかってないところもありますが。
もっとすごいところになると、地震で山崩れが起きて城ごと押しつぶされて消えてしまった帰雲城みたいな例もありますけど。

また私が見た天守閣も、戦後の昭和三〇年代に復元された天守であり、本来の天守は江戸時代の後期に焼け落ちてしまったそうです。
ともあれお城を造らせて大規模な縄張りを実行させ、完成したころに程なく細川氏が幕府の命で肥後に移り、変わって江戸時代の初期から小倉を治めたのが現代も礼儀作法の流派で知られる小笠原氏の小笠原忠真でした。
忠真は、細川忠興が造らせた街並みの維持や領地の経営を行いながら、参勤交代で小倉や門司から江戸に向かう諸大名たちの拠点となるよう、港なども整備していたようです。

また小笠原流の作法などを広めたり、様々な武家のところで作法のアドバイザーみたいなことをしてコネクションを造ったりしていたと思われます。
江戸時代の礼儀作法でも特に、公家や洛中の方に対する応対って大切ですから、ゲスな勘繰りですが教える方にもそれなりの収入になったじゃないかと考えたりします。

このころの作法は、ちょっと間違えただけで命取りになることもありました。
有名な「忠臣蔵」で、浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に松の廊下で刃傷(にんじょう:切りかかること)に及んだのも、吉良上野介から「作法がなってない」と難癖付けられて浅野内匠頭が逆上したって説もあります。
結果として吉良家も浅野家も大ダメージを負ったんですから、やはり大変なことだったんですね。

また細川忠興が特に力を入れて広めた茶の湯の世界(細川忠興は、マンガ「へうげもの」でも出たように千利休の弟子で、優れた茶人でもありました)を小笠原家も継承して、いまでも有名なお茶の家、表千家とか裏千家とか有名な方がいるそうです。
そうしたわけで小倉城は、いまも整備された庭園とお茶を楽しむことができる会館とかあります。

また小笠原流の作法の教室や、当時の作法である弓を射かけたりする儀式なども公開していました。
お茶の席は、専用の券を購入して私も参加させていただきました。
もっとも、去年のねんざの後遺症でいまも長く正座できないので、椅子に座ってお茶を楽しむコースにしました。

意外にも正座でなく椅子に座ってお茶を楽しむ方法は、かなり前から確立されていました。
明治四年くらいからあったそうなので、すでに一三〇年くらい前からある飲み方なんですね。

お茶をたてて下さったのが裏千家の先生の方で、肩ひじ張らず、気楽に楽しんでくださいと優しく言ってくださいました。
また唐津とか有名な焼き物の町が近くにあるだけに、だされたお茶の器や飾られた花立も、それなりの逸品だそうで、おそるおそる飲んだりしました。
抹茶と言うと苦いって言われますけど、私が飲んだお茶は、ていねいに作られていたようで、苦みよりさわやかなお茶の香りがして、まさに一服を楽しむ感じでした。

こんな風で庭園を楽しんだり天守閣の中の博物館で展示観たりしているうちに帰りの時間になってしまい、門司港レトロとか行きたいところいけませんでした。
小倉は、またぜひ来てみたいと思える、とても素敵なところでした。
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