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2020年02月14日04:52

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朝のデボーション(霊想)

マタイの福音書23章

そのとき、イエスは群衆と弟子たちに語られた。
「律法学者たちやパリサイ人たちはモーセの座に着いています。
ですから、彼らがあなたがたに言うことはすべて実行し、守りなさい。

しかし、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うだけで実行しないからです。

また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。


彼らがしている行いはすべて人に見せるためです。
彼らは聖句を入れる小箱を大きくしたり、衣の房を長くしたりするのです。

宴会では上座を、会堂では上席を好み、
広場であいさつされること、人々から先生と呼ばれることが好きです。

しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。

あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです。
また、師と呼ばれてはいけません。

あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。

あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。

 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。

おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。

 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。
おまえたちは一人の改宗者を得るのに海と陸を巡り歩く。
そして改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのだ。

 わざわいだ、目の見えない案内人たち。おまえたちは言っている。『だれでも神殿にかけて誓うのであれば、何の義務もない。しかし、神殿の黄金にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』

愚かで目の見えない者たち。
黄金と、その黄金を聖なるものにする神殿と、どちらが重要なのか。

また、おまえたちは言っている。『だれでも祭壇にかけて誓うのであれば、何の義務もない。しかし、祭壇の上のささげ物にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』
目の見えない者たち。
ささげ物と、そのささげ物を聖なるものにする祭壇と、どちらが重要なのか。

祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上にあるすべてのものにかけて誓っているのだ。
また、神殿にかけて誓う者は、神殿とそこに住まわれる方にかけて誓っているのだ。
天にかけて誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方にかけて誓っているのだ。

 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。

目の見えない案内人たち。ブヨはこして除くのに、らくだは飲み込んでいる。
 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、内側は強欲と放縦で満ちている。

目の見えないパリサイ人。まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる。

 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。

同じように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ。

 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者たちの墓を建て、義人たちの記念碑を飾って、
こう言う。『もし私たちが先祖の時代に生きていたら、彼らの仲間になって預言者たちの血を流すということはなかっただろう。』

こうして、自分たちが預言者を殺した者たちの子らであることを、自らに対して証言している。

おまえたちは自分の先祖の罪の升を満たすがよい。

蛇よ、まむしの子孫よ。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。

だから、見よ、わたしは預言者、知者、律法学者を遣わすが、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る。

それは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でおまえたちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、すべておまえたちに降りかかるようになるためだ。

まことに、おまえたちに言う。
これらの報いはすべて、この時代の上に降りかかる。

 エルサレム、エルサレム。
預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。

わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。
それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。

見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。
わたしはおまえたちに言う。

今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」


神が忌み嫌う、嘘や偽証であっても、それでも立ち返れと待っておられる神。
厳しいみことばで、はじめは、びっくりしたが、それでも愛を感じる。

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