2月6日(木)晴れで強風
伊藤比呂美著「たそがれてゆく子さん」を読んでいる。
彼女は詩人なのだが、「育児エッセイ」の開拓者であり、その昔、子育て真っ最中の頃には「コドモより親が大事」にずいぶんと気持ちを楽にしてもらった。
そんな彼女のエッセイを久々に図書館で見つけ、大喜びで読んでいるのだが・・・
月日の流れに呆然とした。
彼女が再婚してアメリカに渡られたことは、15年ほど前に読んだエッセイ「またたび」で知った。
アメリカ人の夫と、前夫との間の娘達の関係やら面白おかしく興味深く読んだ。
うちも同様のステップ家族になりたてだったゆえ。
アメリカ人の夫とはずいぶんと年が離れてたようで、今、このエッセイを書かれている彼女は還暦で、夫は87歳。
坂を転がるように老いていく夫と、彼女自身の老化や体調の悪化、どんどん介護度が上がる夫を心の中で罵ったりしながら介護している。
そして・・・亡くなった。
椎名誠氏が「岳物語」でたくましく理想的な子育てをされてるのを読み、その何十年後「孫物語」でなんとも羨ましいような理想的な孫育てに、またもやほぉ〜っとなる。
佐藤愛子氏も同様。
憧れの子育て孫育てである。
しかし、伊藤比呂美氏にはもっと違う気持ちを持つ自分に気づいた。
「自分と似てる」なんておこがましいことは言わない。
どちらかというと真逆な感じすらある。
でも、なんだろうこの気持ち。
すごくジタバタされながらの奮闘に、赤裸々な告白に、正直な嘆きに、心惹かれたのだと思う。
彼女の夫が亡くなった時、次のように綴っている。
娘達が抱き合って泣いた。すすりあげ、しゃくりあげて泣いた。
サラ子の鼻から鼻水がずるずると垂れ長く伸びて、死んだ夫の額に滴った。
若い女がこんなに洟を垂らして慕い泣いている。
これが十歳のときから世話してもらった継子だ。
父としての資質には大いに不満があったけれども、
案外悪くなかったのかもしれなかった。
泣けた。
彼女は亡くなった直後のことをこのように淡々と書いているが、その後、ただただ寂しいと言う。
ずっと忙しく生きてきて、夫のため子供のため突っ走ってきた。
どうやらこのアメリカ人の夫は、口うるさくめんどくさい人だったようだ。
完膚無きまでに叩きのめす論理派だったようだ。ましてやそれは英語!!!怖え〜〜〜
親子くらい歳も離れてるもんね〜(実際、夫には彼女と同じ年の息子がいる)
ワタクシにはちょっと想像できない世界だ。
そんな夫をずっと介護して、アメリカならではの医療制度問題もあり、夫の希望もあり、最後は自宅で介護して・・・
それでも彼女は言う「もう一度介護したい」
夫の介護が少しだけ怖くなくなってきた(・・・え?オレが先に介護されると思ってる?)
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