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2020年02月05日05:38

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2月5日

マッカーサーが、1942年のフィリピン撤退以来初めてマニラに戻る:1945年のこの日。ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日〜1964年4月5日)は、アメリカの軍人、陸軍元帥。連合国軍最高司令官を務めた。コーンパイプがトレードマークであった。マッカーサーのカナ表記はマックアーサーとされている場合がある。
レイテを攻略したマッカーサーは、念願のルソン島奪還作戦を開始した。レイテで戦力を消耗した日本軍は海岸線での決戦を避け、山岳地帯での遅滞戦術をとることとした。司令官の山下は首都マニラを戦闘に巻き込まないために防衛を諦め、守備隊にも撤退命令を出したが、陸海軍の作戦不統一でそれは履行されず、海軍陸戦隊を中心とする日本軍14,000名がマニラに立て籠もった。マニラ奪還に焦るマッカーサーは、市内への重砲による砲撃を許可し、激しい市街戦の上で住宅地の80%、工場の75%、商業施設はほぼ全てが破壊された[116]。マニラ市民の犠牲は10万人にも上ったが、その中には絶望的になった日本兵による残虐行為の他、アメリカ軍が支援したユサッフェ・ゲリラとフクバラハップ・ゲリラに手を焼いた日本軍のゲリラ討伐による犠牲者も含まれていた。武装ゲリラの跳梁に悩む日本軍であったが、ゲリラとその一般市民の区別がつかず、老若男女構わず殺害した。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、レイテ島に再上陸を果たすマッカーサー。
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