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2020年02月02日21:25

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つぶやきにも書いたけど、昭和時代後期の受験競争の勝者が今は教育界を管理している

■昭和生まれが経験した学校の"常識"「教室で先生が喫煙」「真夏に休憩せずに部活していた」
(キャリコネ - 02月02日 09:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5958140

既につぶやきにも書いたことだけど、今、日本の教育界のトップにいるのは昭和時代後期から平成前期の「詰め込み式教育」の勝者たちである。僕は仙台市内の公立男子校の進学校卒だということは何度も書いたが、彼らと去年の年末に約30年ぶりに6人ほどで同総会を開いて会って話をした。そのうちの3人は大学助教授で、1人は大学生向けの教科書を書いているから今の教育界をよく知っていると言える。

でも、基本的に彼らが主張していたのは「昔からの大学入試制度を変える必要はない」ということだった。彼らは第一志望の大学に入れて今までの人生を順調に送ってきた、言わば詰込み式教育の勝利者だから、昔からの伝統を変えられるのが嫌なのだろう。これは、高野連が「老害の集まり」と何度も非難されても、甲子園だけで行う高校野球大会を「100年続いた伝統だから」と言って頑固に変えないのと全く同じである。

Tという奴が、
「N先生の英語教育は『お前のようなバカは生きてる価値がねえ!今すぐに窓から飛び降りて死ね!』などと怒鳴られてスパルタ式で怖くて厳しかったけど、でも、あの恐怖に耐えて勉強したから志望大学に合格できた。本当にためになった」
と言っていたけど、僕はそういう恐怖のスパルタ式教育には疑問を持っているので、
「それで、お前はN先生の受験対策の英語で英語が喋れるようになれたか?TOEIC800点以上取れたか?外国人と英語でビジネス会話が出来るようになったか?N先生が外国人と流暢に英語で話しているところを見たことがあるか?」
と僕が突っ込んでみると、
「いや、出来てないし、N先生が外国人と話している所を見たことはない。確かに、昔の日本の受験英語はしゃべれるようになる英語ではなかった。でも、そういう先生たちが教えてくれたお陰で、今は俺たちは生活出来てるからそれでいいじゃないか」
「そうだろ、しゃべれるようになるための英語教育ではなかっただろ?俺のように学生の頃から英語関係の仕事をしたいと思っていた学生にとっては、あのようなリスニングもスピーキングも軽視した受験制度では、これからはダメなんだよ。だいたい、日本人の学生の多くは有名大学を卒業しても英語の論文も書けない。これでは国際競争では勝ち抜けない」

こういう風に詰込み式教育の勝利者である彼らと、当時から詰込み式教育に疑問を持っていた僕とではかなり意見の対立とかがあった。でも、彼らのような当時の優等生は先生たちからもは大切にされていたから、「俺たちを育ててくれた先生と教育界に感謝している」という雰囲気が強かった。確かに教育界の現状に危機を感じてはいたが、あまり日本の長年の伝統である東大を頂点とした教育界を変えたくないという意見が強いようだった。今でも成績優等生は学校で先生から特別扱いを受けて優遇されるが、昭和時代後期、平成前期は特に成績優等生の特別扱いは露骨だった。多くの学校の先生は、優等生に対してはあまり厳しく指導しなかった。だから、成績優等生にとっては当時の乱暴な教育界でも美しい思い出になっているのだろう。結局、彼らのような優等生が学校教師、大学教授、文部省官僚などの教育界で仕事をするから、「30年前の伝統的な教育を下手に変える必要はない」という結論になるのだろう。


一方で、僕が去年の6月に同じように約30年ぶりに東京で会った高校の同級生のYは、全く違う意見だった。彼は上智大学法学部に推薦で合格して、その後もシンガポール国立大学不学部で政治勉強して卒業した。大手証券会社の部長として働いてるが、英語が堪能なので香港などで数年間勤務をしており、海外の情勢にとても詳しい。

「この国は国の基盤からして作り方を間違えてる。だから、俺は嫁さんが上智のスペイン語学科卒でスペイン語が堪能だから、あと5年ほど働いて金を貯めたら嫁と一緒にポルトガルに移住して、そこでワイン農園をやるつもりなんだ。大きな子供たちはその頃には独立してるだろうし、まだ小学生の子供は現地のインターナショナルスクールにでも通わせて、ヨーロッパの大学に進学させるつもりなんだ。

G(僕のこと)もドイツ語が喋れて多くのドイツ人と付き合ってるなら、この国はおかしいと思うだろ?東大、早慶上智レベルの大学を出てエリートビジネスマンになっても、東京郊外にしかマイホームは買えずに、片道1時間も満員電車に乗らないといけない。しかも、仕事のためにこれを毎日続けないといけない。俺は港区にマンションを買って、そこから自転車で会社まで通勤してるけどね。だいたい、東京に全部を集中させすぎなんだよ。

それに、仕事、勉強、スポーツでも未だに根性論、精神論が根強い。高校野球なんてあれは球数制限をして、球児の将来をよく考えないとだめだ。学校にしても他の先進国は入るのが簡単で出るのが難しいので、高校大学にいた時に何を勉強したかを就職先では見るのに、日本の学校なんか就活ばかりしていて研究機関になってないだろ?シンガポール大学にいた時に日本の大学はおかしいと思ったよ」
Yはこういうことを言っていた。

Yは上智に入学した時は推薦合格で入学して、シンガポール大学にも社会人枠で入学したから、いわゆる「受験勉強」というのを経験していない。高校3年生の時に他の生徒が受験勉強の追い込みをしていた頃に、彼は既に11月には推薦入学を決めていたのでのんびりと過ごしていた。


この僕の高校時代の同窓生の2つの対照的な意見を見ると、前者は幕末でいうと外国のことをあまり知らない「攘夷思想」であり、後者は外国のことをよく知ってる「開国思想」という気がする。要するに、前者は別に外国とあまり競争しない職場だから現状維持でもいいと言ってるが、後者は外国と競争する職場なので、どうしても「しゃべれるための英語教育」などの導入を求めているのである。しかし、これからの日本の国際的な立場を考えると、昭和時代とは違って外国企業と競争することは当然なので、どちらが正しいかはすぐにわかると思う。また、今では国際社会でネットの目などが光っているので、昭和時代のような乱暴で先生が威張っている教育が通じるはずがないのもよくわかると思う。



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