逆説的表現なだけで、ASDの人なら傷ついてしまうのでしょうけど、普通の人なら、文中の子供のように、孫を見て言っているのであれば、孫が可愛いんだなと受け取るのでしょうし、なんで?と言葉を継ぎ会話が成立するわけですよね。
親しい間柄なら、言葉はかなり省略されて会話が進むのは極当たり前の事だと思うんで鵜よね。
この父親が、
子供をかわいいと思った事がない。
現役の頃は忙しすぎて、そんなことを感じる余裕がなかった。
今は、孫を見て可愛いと思えるのは、気持ちに余裕が出来たからなんだと思う。
思えば、お前達には可哀そうな事をしてしまったのかも知れない。
等と言いだせば、
話し長@@;
と、思うだけですよね。
親子なら、
子供をかわいいと思った事がない。
と言われて、
でも、孫は可愛いんでしょ?なら、私達の分まで可愛がってあげてよ。
これで十分なのでは?
言葉が足りない事と、言葉を省略する事は全く別の話ですよ。
分かってくれていると思っている相手には、言葉を省略して会話をするわけですよね。
同じ経験をしていれば、細かい話をしなくても、あの時と言うだけで、「あの時」が特定できれば、その感想を言うだけで済むのですが、同じ経験をしていない人に対しては、「あの時」の説明からする必要があります。
この父親が、すべからく「あの時」の説明を省略して話をしているか?と言えば、恐らくそんなことは無いと思いますよ。
少なくとも、引退までは働いていたわけでしょうから。
自分をカテゴライズして、暗示にかかってASDを進行させるのは、個人の自由でしょうが、人を勝手にカテゴライズし、その挙句、暗示にかけるような言動を行うのってどうなの?と。
子供をかわいいと思った事がない。
この一言をとっても、状況によって、捉え方が大きく異なるわけですよね。
この方のように、孫を見ながら言えば、孫は可愛いという意味に受け取れますし、未成年や虐待をしている親が言えば、正に字の如くの意味なのでしょう。
多様化を言い、普通の範囲を狭めた挙句、その狭めた普通から外れると、病名を付けたがるって何なの?と思ってしまう訳ですよ。
解離性人格障害
所謂多重人格の事ですが、これが世に出たのは、1970年代の後半で、米国の殺人犯が24の人格を持っていると精神鑑定の結果がでて、世に広まったそうです。
その事が連日報じられるようになると、米国の精神科の外来には、多重人格じゃないかという人達で溢れ、以後、一定数の割合で定着したそうですよ。
それまでは、いなかったのか?と言えば、何とも言い難く、日本では、狐憑きという現象があり、これが多重人格の1部の表れだとすれば、昔からある精神疾患なのでしょうけど、極めて稀なわけですよね。
ASD=自閉症スペクトラム
この方々が増えているのは?前述の話を元に考えると、1988年に大ヒットしたレインマンですかね?
作中では自閉症患者役のダスティン・ホフマンは、とても残念な人に描かれていたわけですが、数字に対して異常に強くカードゲームで馬鹿勝ちするわけです。
ストーリーはそういう話ではなく、あくまでワンシーンの話ですよ?
それ以前は、頭が悪そうな人は、頭が悪いというレッテルを張られて終わりだったのが、自閉症を名乗ると特殊な能力がある人のように思われるという解釈をした人達が居らっしゃったのでは?と。
で、人からトロイだのなんだのと馬鹿にされた人達が、実は一転特化の凄い奴なんだよと思い込みたく、ASDを名乗り出したのではないのでしょうかね。
近年では、生き辛い人が生きやすい世の中にという事で、何某かの障害を持っていると優遇されると錯覚させる風潮がはびこり、やはり、努力を怠り、色々と残念な方が、自分の特徴にあった病名を探し、当てはまらない所は、当てはまるように調整し、その結果自己暗示にかかり、様々な精神病患者が増えているのではないのでしょうか。
普通って、本来とても幅が広いんですよね。
どれだけカテゴライズを増やして普通の幅を狭めようとしても、普通である事には変わりが無いわけですよ。
かなり残念な普通の人から、優秀な普通の人まで幅があり、明らかに異質な人とは一線を画しているわけです。
残念な人達が、努力を怠る免罪符として、病名に縋るのは本人の自由だと思うのですが、普通に生きている人や、普通に生きようと努力を続けている人達を巻き込むのは、勘弁願いたいものです。
◆「俺は子どもを可愛いと思ったことがない」父親の言葉に隠された真意とは… ツイ主の対応に「すばらしい」「見習いたい」と称賛の声
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=253&from=diary&id=5957393
私の父親たぶんASDなんだけど、
最近、
「俺は子どもをかわいいと思ったことがない。」と言われた。
「ふーん。今、孫はかわいいでしょ?仕事で忙しかったから、自分の子の時は、かわいいと思う暇がなかったんでしょ?」
と私が言ったら、
「そう。全然時間がなかった。心の余裕もなかった。」
— sakurako (@sakurako_iroha) 2020年1月27日
「伝えたいのは、『俺は子どもをかわいいと思ったことがない。』ではなく、『今、俺は、孫がとても可愛く思えている。』じゃない?自分の子の時は余裕がなかったけれど、今は、孫が可愛く思えている自分がいるよ。ってことじゃないの?」
「そう。そういう意味で言ってる。」
— sakurako (@sakurako_iroha) 2020年1月27日
「最初の言葉だけ聞いたら、ひどい父親だな、しか思わないよ。私が聞き返さなかったら、噛み砕いて話さないでしょ?私が、無言で、ひどい!傷ついた!って思って終わるかもしれない発言だよ。」
「ごめん。」
(↑笑うところじゃない。)
ってな会話をしたんだけれども、
— sakurako (@sakurako_iroha) 2020年1月27日
こういう、言葉を激しく省略するというか、要点からズレたことに焦点を当てて話すところ、ASDだからだと思うのだけれど、私は子どもの頃から、父の言葉に脳内で言葉を補って受け止める、というクセがついていたので、こんな風にいちいち確認せずに、自分なりに消化してきた。
— sakurako (@sakurako_iroha) 2020年1月27日
父に育ててもらった能力だと今は思っている。
だから、私は、言葉が足りない夫や息子の話も、理解できる。
ASDは誤解を受けやすい。
しかも激しく悪い方向への誤解。
中でも父は、適切な言葉を選ぶのが苦手なのだろう。
— sakurako (@sakurako_iroha) 2020年1月27日
「誤解を受けやすい。」
ではなく…
「誤解を与えるような言い回しをしがち。」
でした…
悲しいかな、私も、気をつけててもあるし。
— sakurako (@sakurako_iroha) 2020年1月27日
「父もそうでは?」「部長もそうでは?」「私もそうでは?」というリツイートが多いのですが…
現行の診断基準では、社会生活を送る上で著しい困難を抱えている人しかASDの診断はおりません。
特性を持っている=診断がつく、ではありません。
— sakurako (@sakurako_iroha) 2020年1月29日
一見ひどいことを言っているように捉えられかねない父親に向き合い、真意を探るsakurako(@sakurako_iroha)さんの行動に、絶賛の声が寄せられています。
なるほど、勉強になります。私は今おそらく身近に2人いる…
— y (@ysk21510829) 2020年1月28日
素晴らしい対応ですね。見習いたいです。
— 中村_直人/Naoto_Nakamura (@Naochaland) 2020年1月28日
きっと、お父様から愛情をちゃんと感じていたから、足りないコミュニケーションでもすれ違わずにきたのかな、と思いました。素敵な父娘ですね。
— 風 (@ritm0pi) 2020年1月28日
citrus
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