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2020年01月12日03:59

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まぁ、使えない物や金にならない事は無価値であり有害であると殆どの日本人は考えている。

植松被告襲撃 泣き叫んだ職員
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5932472

例えば歴史的な建造物が町にあったとする。
その建造物の価値は客を呼んで観光資源となるかならないかで決まる。

ならないなら無駄飯喰らいなトンでもない疫病神として扱われ
保存に金をかけようなどとしようものなら
反対集会が起き、存在が悪のように言われ
最後は市長なんかが人気取りの為に解体してしまうもんだ。

観光資源として金を集めれるなら置いておくが金にならないなら
歴史的な意義があろうが解体し跡地にソーラパネルを並べるのが平均的日本人の価値観であろう。

知的障がい者も金を稼ぐ事は出来ない。
その人が幸せに生きる意義も身内でなければ分からない。

つまり、無駄飯喰らいの疫病神と植松君は判断し
平均的日本人に率先して片付けてくれた訳ですよ。

このニュースで何人もの人が怒ってるが植松君は君たちに善かれと思ってやってくれたに過ぎないのだ。

建造物じゃないだろ人だろ?と言われても根の部分である
「何でも銭で計る価値観」
と言う卑しさが意義を押し退け無法無体を増長させ
他の人より少しフライングしてる人を凶行に走らせ
取り返しの付かない結果を引き起こす。

金が勿体ない。

確かにパチンコに捨てる金ならそう言えるだろう。
しかし、福祉やら歴史的な意義をパチンコと同列に語るなら
それは「私は馬鹿です」と言ってるに等しい。

もう銭を口に出す卑しさを止めるべきだ。

銭より大切な物は存在しないと考えれば人の命も軽い

人の命も建造物も失えば二度とは戻らない
偉人や天才じゃなくとも、その人の幸せはかけがえのないものだし
観光資源にならない建造物や史跡でも、その町の歴史であり
かけがえのないものなのだ。


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