「明日の心配をやめて、今を生きよう!」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20691 (写真入り記事)
キリストは、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6章34節)と語られました。
「明日のことを心配しない」生き方は、「なるようになる『ケ・セラ・セラ(Que sera sera)』」人生とは少し違います。
「なるようになる」と考えて自然体で生きることも素晴らしいですが、明日に向かってのビジョン、目標、計画を持って、全力で生きて行くことが大切です。
「明日のことを心配しない」生き方は、「今日のことに一生懸命」に生きて、「明日の心配を締め出してしまう」生き方です。
聖書は、「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(マタイ6章27節)と語ります。
「明日への心配」をやめて、「今を生きることに集中」してみたらどうでしょうか。
人は、二つのことを同時に考えることはできません。「今日の今に集中」している瞬間は、「明日への心配」をすることはできません。
「明日への心配」は、「今に集中する」ことをやめた時に始まります。
明日になったら問題が解決しているかも知れませんし、依然として問題があっても、明日になってから心配したらいいのです。
「橋は、橋のたもとに来てから渡る」ことと似ています。
キリストが教える生き方は、「今日一日の枠の中で生きる」ことです。明日になったら、明日が今日になり、その時から、また「今日一日」を生きたらいいのです。
今日一日を、私に与えられた「唯一の日」と考え、「最高の日」として全力投球で生きて行きましょう。祝福を祈ります。
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