12月31日
日毎の決意
「24時間の生き方」という考えは、本来、個人の生き方の感情面に適用されるものです。感情ということで言えば、私たちは、昨日のことや、明日のことを思いわずらうべきではないのです。
ビルはこう思う 284
新しい年。12ヶ月、52週間、365日、8,760時間、525,600分 ─ 方向を、目標を、行動を考えるとき。
普通に生活していくためには、計画を立てなくてはならないが、気持ちの上では24時間の枠の中で生きなければならない。24時間の生き方をするならば、新年の決意など必要がないことになる。「今日はこれをやろう。今日はあれをやろう」と決めていくことができる。毎日少しずつ良くなろうと努め、神の意志に従い、AAのプログラムの原理を行動に移す努力をしていくことで、私は毎日自分の成長を確かめることができる。
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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
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12月31日
AAメンバーとしての私の姿勢について思い巡らすとき、参加に対して忠実でありたい。与えることに寛大でありたい。批判において思いやりを持ちたい。提案において建設的でありたい。そして何にもまして、私の姿勢は愛に満ちたものでありたい。私の関心、情熱、献身、私のすべてをAAに捧げたい。主の祈りは私にとって、日々のAA的思いの一部となった。「天にまします我らの父よ、願わくはみ名の尊まれんことを。み国の来たらんことを。み旨の天に行われる如く、地にも行われんことを。我らの日用の糧を、今日も我らに与えたまえ。我らが他人に許すごとく、我らの罪をも許したまえ。我らを試みに引きたまわざれ、我らを悪より救いたまえ」
私は自分自身を捧げているか?
黙想
今、過ぎ去ろうとするこの一年を顧みるとき、私が愛のある思い、愛のある言葉、愛のある行いを実践した範囲において良い年だったと言える。私の思い、言葉と行いのどれ一つをとっても、ゴミくずのように何の影響力もなかったものはない。良いものにしろ悪いものにしろ、すべての経験は私に何かを与えている。ある意味では過去は完全に過ぎ去ってしまうものではない。私の生き様の結果は善であれ、悪であれ、現在の私と共にある。私たちは経験によってのみ、物事を知ることができ、完全に無駄な経験というものは一つもないのである。過ぎ去ったこの一年、愛のある事柄について、謙虚な思いで膝を屈め神に感謝しよう。
祈り
これから始まる新しい年に、愛に基づく第一歩を踏み出すことができますように。信仰、祈り、希望のうちに歩ませて下さい。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ 年末のオープン・ミーティングから帰ってきました。いろいろなことを言う人がいましたが、本当に今日言われているとおり、「昨日のことや、明日のことを思いわずらうべきではない」のです。それが、AAをやっていて良かった点の一つでしょう。昨日のことを思い煩う、というのは後悔をすることで、それは自分ができなかったことをいたずらに責めてしまうことでしょう。明日のことを思い煩う、というのは明日起こるかもしれない可能性をいたずらに大きく取り過ぎてしまって、明日のことを心配する、おそれることにつながるでしょう。
AAにつながって間もなくすると、自分が様々なことにとらわれすぎない生き方ができるようになります。その一つは、昨日のことの後悔や、明日のことの心配からも解放される生き方なのです。私たちはよく「新しい生き方」ができるようになった、と言いますが、AAで新しい考え方やものの見方を教えられて、すぐさまそうできるわけではありませんが、以前の古い生き方が少しずつ新しいものに置き換えられていくのでしょう。
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山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
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