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2019年12月30日21:19

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昨晩は高校時代の友達と本当に久しぶりにお酒を飲んだ

昨晩は僕の母校の仙台一高時代の友人6人と一緒に、仙台の飲み屋街である国分町近くの居酒屋で3時間ほど「忘年会」でお酒を飲んだ。僕のマイミクの方々の中には僕が仙台一高卒と知っている人は多いから、別に高校名を出してもいいだろう。

その内の2人は今でも交友がある人たちだが、それ以外の人たちはなんと高校卒業以来の再会であり、実は言うと高校は同じでも初めて話す人が多かった。出身高校が同じなのに話すのが初めてというのは、僕は20歳ごろまではすごい人見知りであり、高校時代まではあまり友達がいない学生だったから。この原因は僕が小学校時代は父が銀行員だったせいで引っ越しが多くて、一つの小学校に2年半ほどしか通えなかったので、多くの友達と騒ぐのが苦手な内向的な性格になってしまったから。もちろん、社会人になって数年経ったらそれは克服できた。


それで、やはり、進学校のOBということもあって、3人が大学教授で1人は仙台市役所の公務員という顔ぶれだった。もちろん、大学教授はゼミを持っているから、個人名を出すと特定されるので個人名は出せない。みなさん、東北大学卒かそれと同じレベルの大学卒なので、MARCHレベルの大学しか出てない僕は肩身が狭い思いではあったが、「英語、ドイツ語が喋れるので、翻訳と英語指導の仕事をしてる」ということで、何とか話題についていけた。

大学教授が多かったから大学入試改革ということが話題になったが、「大学入試を入試センター試験から記述式にすると、採点と選考をする大学側の負担が増えるから」ということで、その改革には否定的な人が多かった。あと、やはり、昭和時代の共通テスト(今の大学入試センター試験)と入学試験で勝ったからということもあるのかもしれないけど、英語教育の早期導入などの文部省の教育改革などについても、「別にそんなに変えなくてもいい」という意見の人が多かった。やはり、色々と教育改革を文部省が打ち出すと現場の教授などは混乱するので、そんなに急に変えてほしくないらしい。


それから、当然、昭和時代の高校の授業についても話題になったが、若い人は知らないかもしれないけど、昭和時代の中学、高校というのは体罰があっても誰も文句を言えない風潮だった。うちの高校でも英語の先生ですごく怖い先生がいて、生徒が間違った回答をすると、「お前のようなバカは生きてる価値がねえ!早く死ね!今すぐに窓から飛び降りて死んでしまえ!」などと罵倒する先生がいた。ただし、その先生は授業の時だけ怖い性格で、普段は生徒の質問に答える優しい性格という人だった。それでも、今の学校ではそういう恐怖で指導をするという方法はダメだろう。昭和時代は、「担任の先生が怖いから怒られるのが嫌だから、ちゃんと予習をしよう」という恐怖で生徒を指導をする先生が多かったけど、今の時代はこういう指導法はダメだろうな。

ただし、僕がドイツ家庭にホームステイした時に、「日本の先生の中には生徒に『お前のようなバカは死ね!』などと罵倒して、恐怖で指導を進める先生がいる」と言ったら、家族の人たちは「いくら学校の授業といっても、先生が生徒を恐怖で支配して指導するのはよくない。もっとよく話し合うべきだ。そんな先生がいる学校だったら、うちの家庭では子供を転校させるね」と言っていた。

ドイツなどの欧米では入学は簡単で出るのが難しいから、合わない先生が学校にいる場合には親は学校とよく話し合って、子供を転校させることが出来る。ドイツは「子供の権利条約」を忠実に守っているので、体罰などの恐怖で子供を指導する先生はダメな先生というレッテルを貼られる。通っていた語学学校でも中年女性のドイツ語の先生に日本の怖い先生の話をすると大笑いして、それから、「そういう怖い先生の話は聞いたことがあるけど、生徒たちを殴って罵倒して授業をするのは最も簡単で野蛮な指導法なので、私は絶対にやらない」と言っていた。それで、その先生は僕のドイツ語学習がスランプに陥った時ほど、微笑んでほめてくれたのだった。ホームステイ先の家族も同じようにほめてくれることが多かった。


主に日本国内だけで仕事をしている高校の同窓生が教育改革に慎重な一方で、今年の6月に東京で同じく約30年ぶりに会った中学高校時代の友達Yは、教育改革と英語教育の早期導入に大賛成だった。彼は上智大学に推薦合格で入り、その後、大手証券会社に勤務しながら、最終的にはシンガポール国立大学を卒業しており、キャリアでも証券会社の香港、シンガポール支店で勤務したことがある。子供たちも海外で育ったのである程度は英語がしゃべれる。奥さんは同じ上智大学でスペイン語を専攻していたから、スペイン語の翻訳の仕事をしている。

彼はこう言っていた。
「この国は政治、教育などの国の根幹の作りを間違っているから、俺は家族を連れて5年後くらいにはポルトガルに移住して、そこでワイン農園をやりながらのんびりと余生を過ごすことにしている。そのために、今は証券会社の部長というハードな仕事をして、貯金をしているんだ。証券勤務だから株に投資は出来ないから、不動産投資をして貯蓄を増やすこともやってる。今度は仙台にも土地を買おうと思っているから、仙台にも行ってみようと思っている。うちの子供たちには、日本の大学よりも海外の大学で勉強してもらいたい。日本の有名大学を卒業しても、英語すらしゃべれない奴がたくさんいるのではだめだ。ヨーロッパの大学を出れば、3か国語くらいしゃべれるようになるからな。G(僕のこと)もドイツ語と英語がしゃべれてドイツに1年ほど住んだのなら、この国が間違っていることくらいわかるだろ?」


昨日、一緒に飲んだ仙台一高時代の同窓生が日本の色んな改革に対して慎重だったのに対して、東京で会った友達のYは逆に改革に賛成のことを言っていたという違いは、昨日飲んだ人たちは別に英語がしゃべれなくても仕事を生活ができる生活をしているが、Yの方は証券、金融という国際的に競争をする業界なので、どんどんと欧米の進んだ制度を取り入れるべきだという意見なのだろう。僕はどちらかというとYの意見の方に近い。

わかりやすく言えば、日本は真夏の炎天下に甲子園球場だけでやる高校野球だとか、巨人が盟主でなければいけないプロ野球だとか、「日本の伝統」の名の下に多くの改革を先送りしてきた。昨日会った高校時代の同級生、友達のYの両方ともに日本の将来を憂えていて、日本の将来に危機感は抱いているけど、幕末に例えると前者は「攘夷」思想に近くて、後者は「開国」思想に近いような感じがする。

僕の意見はこれはとても難しいことだけど、このまま教育改革などの多くの改革を棚上げするのはダメだろうし、特に学校制度が昭和時代から全く変わらないのでは、今の子供たちの将来はないだろう。


動画は仙台の飲み屋街の国分町。昨日はこういう雰囲気の所で飲んだ。

https://youtu.be/agAImGp4ivY
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