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2019年12月29日20:24

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魔法少女の系譜、その108

 今回の日記は、断続的に連載している『魔法少女の系譜』シリーズの一つです。前回までのシリーズを読んでいないと、話が通じません。

 前回までのシリーズを読んでいない方や、読んだけれど忘れてしまった方は、以下のシリーズ目録から、先にお読み下さい。

魔法少女の系譜、シリーズ目録その1(2014年01月22日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=25849368&id=1920320548
魔法少女の系譜、シリーズ目録その2(2018年12月24日)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969682470&owner_id=25849368

 今回も、前回に続き、『ウルトラマンA【エース】』を取り上げます。

 『ウルトラマンA』は、主役のウルトラマンAに変身するのが、北斗星司と南夕子の男女二人でした。これは、それまでのウルトラシリーズと比べて、画期的な設定でした。
 その他にも、ヒーローが倒すものを、怪獣ではなく「超獣」とするなど、いくつも、新しい設定がありました。マンネリに陥ることなく、シリーズを続けようという意気込みが感じられますね(^^)

 ところが、『ウルトラマンA』のシリーズ半ばで、ヒロインの南夕子が、退場してしまいます。具体的には、南夕子の出番は、二十八話までです。
 二十九話以降は、重要な設定を手放して、従来のウルトラシリーズと同じく、男性一人が変身ヒーローとなります。
 なぜ、せっかくの新しい設定を、中断してしまったのでしょうか?

 これには、複数の理由があるようです。
 一つは、「メインの観客である子供たちが、ごっこ遊びをしにくい」ことが挙げられます。人によりますが、小学生の頃は、男女の違いを意識し始める頃ですよね。男女が、まったく屈託なく、入り混じって遊ぶのが、難しくなってきます。男女ペアが揃わないと、ごっこ遊びができないのは、けっこう、ハードルが高かったんですね。

 また、ウルトラマンAは、「ウルトラ兄弟」の中でも、心根が優しい描写が多かったです。これは、南夕子という女性要素が、ウルトラマンAの中に入ったからでしょう。
 それが、「ヒーローとしては弱々しい」という批判を呼ぶことになりました。二〇一九年現在であれば、それは、利点と見られたかも知れません。けれども、昭和四十七年(一九七二年)では、受け入れにくかったと考えられます。

 さらに、主役が二人であることにより、二人分のドラマを書かなければならなくなりました。これが、製作側の大きな負担になったようです。
 これに関しても、二〇一九年現在であれば、むしろ、「厚みのあるドラマが見られる」という利点として、人気を呼んだかも知れません。昭和四十七年(一九七二年)では、(製作側の都合で?)無理だった、ということです。

 複数の点で、『ウルトラマンA』は、時代に先駆け過ぎたのでしょう。このために、残念ながら、昭和時代の貴重な変身ヒロイン、南夕子が、途中降板することになりました。
 しかし、ほぼ同時期の『好き!すき!!魔女先生』のヒロイン、月ひかると並んで、南夕子は、決して忘れられてはならない変身ヒロインです。ずっと後の、「変身して戦う魔法少女」の、最初期の形を示しています。

 むろん、昭和四十七年(一九七二年)当時には、南夕子は、「魔法少女」だとは、認識されていませんでした。
 そもそも、当時は、「魔法少女」という言葉も、「魔女っ子」という言葉も、存在しません。個人的に使っていた人はいるかも知れませんが、広く一般に認識される言葉としては、存在しませんでした。二〇一九年現在で言う「魔法少女もの」は、おそらく、「魔法もの」、「魔法使いもの」などと呼ばれていたはずです。
 そして、当時の「魔法もの」の魔法を使うヒロインたちは、超人の姿に変身しませんでしたし、戦闘もしませんでした。

 当然、『ウルトラマンA』も、「魔法もの」(「魔法少女もの」)とは認識されませんでした。あくまで、『ウルトラシリーズ』の一作品でした。ジャンルで言えば、「特撮もの」、あるいは、「変身ヒーローもの」という区分でした。
 昭和四十七年(一九七二年)には、「魔法もの」(「魔法少女もの」)と、「変身ヒーローもの」とは、交わらないジャンルだったのですね。

 二〇一九年に振り返って見るからこそ、私たちは、南夕子を、「変身して戦う魔法少女の先駆けだった」と認識することができます。
 もし、現在のように、「変身して戦う魔法少女」がメジャーになっていなければ、私たちは、南夕子を「魔法少女の一種」とは、見なし得なかったでしょう。

 もともとは交わらなかった別ジャンルの要素を、「魔法少女もの」に入れ込んだおかげで、「魔法少女もの」は革新され、人気を呼ぶジャンルとなりました。
 それは、『ウルトラマンA』の放映から、二十年ほども後のことです。具体的な作品名を挙げれば、『美少女戦士セーラームーン』ですね。
 特撮とアニメという表現方法の違いはありますが、『セーラームーン』では、『ウルトラマンA』と違って、変身して戦う魔法少女が、爆発的に受け入れられました。このために、『セーラームーン』以降に、「変身して戦う魔法少女」が、普通になりました。

 この違いはどこから来たのかと言えば、やはり、時代でしょうね。『ウルトラマンA』の時代には、まだ、「変身して戦うヒロイン」を広く受け入れるほど、時代が熟していなかったのでしょう。

 『魔法少女の系譜』シリーズを読んで下さっている方々であれば、とっくにお気づきでしょう。似た作品同士でも、公表された時代によって、受け方が全然違います。
 『セーラームーン』は、日本のおたく界全体を塗り替えるほど、大ヒットした作品でした。それは、作品自体に力があったことが一番ですが、「時機を得た」ことも、大きいです。あの時機に、あの作品でなければ、あそこまではヒットしなかったでしょう。

 別の言い方をすれば、「大ヒットした作品の前には、必ず、それと似た作品があって、その時には、あまりヒットしない」といえます。
 あれほど受けた『セーラームーン』は、突然、何もないところから現われたわけではありません。『好き!すき!!魔女先生』や『ウルトラマンA』や『キューティーハニー』などの、先駆けとなる作品群がありました。それらの要素を取り入れて、誕生しています。

 『好き!すき!!魔女先生』にせよ、『ウルトラマンA』にせよ、『キューティーハニー』にせよ、ヒットしなかったというのは、語弊があります。
 例えば、『ウルトラマンA』の平均視聴率は、18.6%です。後半には、20%を越えることもありました。立派な数字ですね。
 『キューティーハニー』に至っては、最初のテレビ放映が終わってから、約二十年も経って、OAVで続編が作られました。さらに、『キューティーハニーF』という新シリーズのテレビアニメが作られたり、実写映画が作られたりしました。どれだけ根強い人気があるか、明らかですよね。

 それでも、昭和四十七年(一九七二年)当時には、「変身ヒロインもの」、あるいは、「戦う魔法少女もの」というジャンルは、認識されていませんでした。作品数が少な過ぎて、ジャンルになり得なかったのです。
 二〇一九年現在に見れば、「ここに大きな鉱脈があった」とわかります。けれども、当時は、「変身ヒーローもの」の勢いが強過ぎて、「変身ヒロイン」は、かき消されてしまいました。

 『ウルトラマンA』で、南夕子が冥王星へ去ってしまってから、約一年後に、『キューティーハニー』の放映が始まります。「変身して戦う魔法少女」の系譜が、南夕子からハニーへと受け継がれたような形です。
 しかし、『キューティーハニー』は、昭和四十八年(一九七三年)の段階では、いろいろと斬新過ぎました。このために、人気だったにもかかわらず、直接の跡継ぎとなるような作品は、長く、現われませんでした。

 「変身して戦う魔法少女」の系譜は、途切れながらも、続いてゆくことになります。

 今回は、ここまでとします。
 次回は、来年(二〇二〇年)になりますね。『ウルトラマンA』は、今回で終わって、別の作品を取り上げる予定です。
 それでは、皆さん、良いお年を。

2020年01月05日追記:
 この日記の続きを書きました。
 よろしければ、以下の日記もお読み下さい。

魔法少女の系譜、その109(2020年01月05日)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974241315&owner_id=25849368

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