私は、何時しか最悪¹のと思う事と最善²と言う言を、物事の流れの中で考える事をするようになりました、もちろん中道³もいれながら、すると三通りのどれかにシンクロニシティしていきますが、そのどれかにシンクロニシティして当てはまる感覚を何気なく掴むことが、日常のシンクロニシティが増えて行くことになんとなくつかめる感じがするようになりました。
そんなときに、自分の魂と言う内なる声がそっと呟いてきている事を気が付きました、その声が私にとっての道を示したと思っていますその経験は、白昼夢で弥勒菩薩と思われる前にいる『祖父』の声は「好きな事をしても良いのです、責任をもって好きな事をしていきなさい」でした、「自分の道はすぐに取り戻す事が出来る」、さらに時がたち次に似て非なる様ですが気が付いた時は「好きな事をする責任を取る事で自分の内宇宙と外宇宙の生態系や宇宙が形作られている」と縁も含めてとそれとなく感じました。
また時がたち同じ思いを思い出そうと思っていた時は、私が読んだ本のラザリスの物語の風景が出てきました、扉が開いていますその前に祖父が立ってて灯を手にして私がここへそこへ訪ねてくることを祖父は知っていたようで私をにこやかに向かい入れる如くで。
その扉の中へ入る事は、私がここへ来る前その時私がこの経験を望み、その望みをかなえる為此処へ生まれてきたのだと思い出す為でした。
その空間は、私が今いる空間に繋がっていて 今自分がいて見える空間が、空(クウ)の無限の器の中を飛んでいる様な感覚です。
と、今日まとめられる事が出来ましたが、またバラバラになり再結成して、記憶やこれからの人生でであえて靴ことなんだなと思っています。
不思議ですね、私はその不思議が大好きです。
当たり前が一杯それはそれは一杯不思議が含んでいる事も含めて好きなんです。
ピリカ・メム・ワッカ 水谷 和弘
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