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2019年12月25日00:44

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クリスマス・ベルリンで嬉しかった話。


クリスマスはやはり楽しかった話を書こうと思います。去年も書いた話ですが、新しいマイミクさんもいるので、もう一度書きます。


キリスト教徒じゃないけど、クリスマスなので、クリスマスの嬉しかった思い出でも書きます。

1996年12月26日に、兄貴と二人でベルリンに行った。現地に一週間ほど滞在する予定だった。ところが、着く早々、予想外の事件が起こった。ベルリンのテーゲル空港に着くと、まだクリスマスの休暇で両替所はどこも閉まっていたのだった。

本当に困ったことになった。僕と兄は、
「25日はクリスマスだけど26日は違うから、ベルリンで両替できるだろう」
と思い、円をマルク(当時はまだユーロじゃなかった)に替えていなかったのだった。マルクは兄が持っている30マルク(日本円にすると約2,400円)ぐらいしかない。

さらに、重いスーツケースを持っていて、兄はベルリン2回目、僕は初めてだったので、どの地下鉄、バスに乗るのかも全くわからず、ベルリンのテーゲル空港からホテルのあるアレクサンダー広場までどう行ったらいいかわからず、途方に暮れてしまったのだった。


とりあえず、タクシー乗り場に行って、中年の運転手たちに声をかけたら、
「次は彼女の番だよ」
という感じで、金髪で長身の若い女性ドライバーを指差した。彼女は綺麗な人だったが、運転しやすいためなのか、軍服のようなとても質素な服を着ていた。

僕が覚えたてのドイツ語で、
[Guten Abend. Wir moechten nach Alexander Platz fahren. Aber wir haben nur 30 Mark.](こんばんわ。アレクサンダー広場まで行きたいんですが、30マルクしか持ってないんですが)
と彼女に尋ねた。彼女は仲間のドライバーに、
「30マルクでアレックス広場まで行けるかしら?」
ということを聞いたようだった。仲間のドライバーは、僕にもわかるようなドイツ語で明らかに、
[30 Mark, Alex Platz? Nein, nein,teuerer, teuerer](30マルクでアレックス広場?ダメ、ダメ。もっとかかるよ)
と答えた。

「困った。どうしよう」
と僕は思ったのだが、彼女は、
「とにかく行ってみましょう」
ということを言って、タクシーに乗せてくれたのだった。
「しかし、”もっとかかる”と言ってるのに・・・。どうするんだろう?」
と疑問に思った。


車は動き出し、ベルリンの中心部へと向かった。ティアーガルテンに入り、「勝利の塔」、「ブランデンブルク門」などを通過した。英語もあまり喋れない脳天気な兄は、
「3年ぶりのベルリンだなあ〜」
と景色を眺めて感動していたが、こちらはタクシーのメーターだけが気になった。

ウンター・デン・リンデン通りを抜ける頃には、メーターは28マルクになっていた。
「ダメだ。これは、とてもホテルまでもたない」
と諦めて、500メートルぐらいはスーツケースを押して歩く覚悟をした。

そして、ついにメーターは31マルクになってしまった。
[Muessen wir aussteigen?](降りなければなりませんよね?)
と僕が言おうとした時に、信じられないことが起きた。ドライバーの彼女はメーターを倒してしまったのだった。
「えっ!」
と、思わず驚きの声が出た。

彼女は、そのままアレックス広場のフォーラムホテルの玄関まで乗り入れてくれた。そして、ニコリと振り向いて、
[30 Mark, bitte](30マルクちょうだい)
と僕と兄に言った。僕と兄は何度も英語とドイツ語で「ありがとう」と言いながら、よく探したら33マルクあったので、それを全部払って降りたのだった。


しかし、僕が彼女の顔をよく見ると、お金だけではなんか物足りないような顔をしていた。ここで欧米で考えられるのは、僕と兄が彼女の両頬にキスをすることだろうが、タカトシの「欧米か!」じゃないけど、我々、日本人にはそういう習慣はないので、とにかく彼女には、シャイな日本文化を体験してもらうしかなかったのだった。(苦笑)

Es tat dir in der Tat leid.(本当に、君にとっては気の毒だった)


写真はこの時のベルリン訪問で訪れた場所。写真左は、ベルリンのクリスマスのイルミネーション。ウンター・デン・リンデン通りとブランデンブルク門の様子。写真真ん中は、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム教会。第二次世界大戦で破壊されたままの状態で保存されている。写真右はノイエ・ヴァッヘ(新衛兵所)の中にあるピエタの像。泣き息子を母が抱いている。ナチスドイツの時代には、ヒトラーとナチスドイツの政治家がここに戦没者追悼に訪れた。今でもドイツでは「国民哀悼の日」(第一次世界大戦が終わった記念日)には、ここに政府の要人が来て追悼式典を行う。

余談だが、大学受験の時の共通テスト(今の大学入試センター試験)で僕よりも良い点数を取った兄は、英語がほとんど通じずにおろおろしており、英検準1級を取った僕がメインでドイツ人と会話をしていた。

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