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2019年12月24日22:58

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イーハトーブとっておきの音楽祭盛岡チャリティコンサート2019あんべ光俊「青き心のままに歌え」

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◎セットリスト (あんべさんのFBより)
2019.12.15sun 盛岡おでってホール
〈PART1-風の時刻表〉1977.05
01.東北本線 
02.青春の踏切で 1977.07
03.悲しみのイエスタデイ 1977.03
04.三年目の決心 
05.恋の涙川(未収録) 
06.しょうよう歌 1974、1975
07.やさしさは欲しいけれど 
08.遠野物語 1976.08

PART2〈碧空と海のすき間から〉1078.12
09.雪の日のひとりごと1978.05
10.12月の狼
11.25歳の冬に
12.風は知っている1978.05

13.星の旅 1979.11    
E1.ロンリーボーイ with 小野寺進(飛行船)
E2.恋するカレン with 佐野よりこ
E3.世界の窓へクリスマス with 高山仁志(バイオリン)
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フォトフォト
〇ファースト&セカンドアルバム
飛行船の「風の時刻表」と、ソロファーストアルバム「碧空と海のすき間から」、デビュー初期の2枚のアルバムからのみの選曲という珍しいライブでした。実際その2枚のアルバムを夢中になって聴いてた人がたくさんいそうなので、往年のファンには嬉しいセットリストです。
こういう初期のアルバム2〜3枚からのみの選曲というライブ、他のアーティストもやってくれたらビギナーも出かけやすいのになあ。(確か、数年前「姫風」がかぐや姫と風のスタンダードナンバーだけ演奏するというライブがありました。ふきのとうはやらないだろうけどNSPならやれそうです。)

〇14歳の冬に
あんべさんが25歳の冬、私は中学2年生でした。
とても幼くて奥手で、少女漫画でしか恋愛を知らない、愛とは美しく崇高なもの、努力は必ず報われるという理想を疑うことがなかったほど純真でした。漫画の主人公に恋をして、思春期の苦悩にまだ躓いてなかった頃、割と自分にとって良い時代に、ラジオから流れる飛行船の曲を幼馴染と聞いてたんです。
あの頃は、青春の踏切を聴いても「青春」が何かわからなかったし、「学生街の人の中で君と出会い」と聞いても、大学生が全くいない田舎で暮らしてたので、学生街ってガロの唄でしか知らないし、都会の下宿暮らしもテレビでしか知らなかった・・・・(NSPは高校生の日常を歌詞にしてたので、今となっては珍しいですが、当時の若者の大学進学率を考えたら、実はマジョリティなんだよね。)
でもあの頃子どもなりに想像してたイメージがあって、そのイメージしてた情景と汚れなきあの頃の自分の幼さが脳裏に蘇って来て、涙涙;;
やがて大学生になった頃には、私は大衆音楽を離れていました。
学生生活を通過した今、こうして振り返るように聞いてみると、「青春の終焉」モラトリアムの混沌が自分の記憶と曲がすっかり重なって、涙涙。
歌詞の情景を想像していた幼い自分が聴いていた曲群、そして歌詞と同じ心情を通過した自分が今聴く曲群。2つの味わいがあります。更に思春期前と思春期真っ盛りの二つの自分、それを見つめる成熟した自分がいて、3つの自分に出会えるのは、あんべさんの音楽だけな気がします。

〇星の旅
あんべさんが70年代ラジオを担当してた時、当時の中高生からすごい分厚い手紙が届いて、どうにもならない現実に「死んでしまいたい」という悩みが綴られたものがあったそうです。
20代の若かったあんべさんは、その子に、何もいってやれることがなくて思案した結果、歌にして気持ちを伝えようと出来たフレーズが「バカだな、星になったら夜にしか君と逢えないよ」だったそうです。
「あの頃、色々悩みを抱えた子たちがここまで生きててくれて立派な大人になって、俺のコンサートに来てくれてありがとう」
「星の旅」が発表された78年は、部活に夢中でラジオに投稿したことなんかない時期でしたのでその手紙は私ではないのですが、暗かった高校時代の自分はまんまそんな感じったので、じーーんと来ました。

〇5月になれば

この日「俺、なんでこんな曲作っちゃったんだろ」って仰ってましたが、79年のライブでも同じこと仰ってましたよ(笑)。
同棲とかまして結婚妊娠なんて、どこか薄汚れた所帯じみた日常に思えて、完全に自分とは無縁に思えてましたが、それでもなんか切ないものを感じて好きな曲でした。(所帯じみてない観念的恋愛だから、ふきのとうの世界が好きだったんですけどね)
大人になって改めて聞くと、その切なさにリアリティあるなって思います。
「心の扉をしっかり閉じて僕は笑ってみせた」この描写が秀逸だと思います。
身重になった女性が、恋人が共にこの現実を受け入れてくれるのか不安に思う気持ちと、男性が緩やかに父親になる戸惑いが交差した日常のワンシーンを描いたのかなって。男性の、若さと自由を謳歌した「子ども」時代が終わり、大人として黄昏れていく自分を受容し諦念する瞬間が、私の脳内に映像として再生されます。(青年がそれまで子どもの自分だったのに、ある時親としての自分になることを受け入れる複雑な心境という点で、NSPの「人生の秋」と主題が近いかも)
私は大学生になって、初めてレンタルでたくさん洋画を見ましたが、飛行船のアルバムは映画を見たことない幼い時代に聞いていたんです。
「花嫁泥棒」は今なら、「卒業」や「7人の花嫁」の映画の影響を感じるわけで、幼い時とは違う視点で曲を今味わえています。
「卒業」の二人は最後、バスに揺られ幸せそうな顔からだんだん夢に覚め現実に戻っったような堅い表情になるのですが、若い情熱に身を任せ、駆け落ちしたはいいが、その後二人はどうなるのか現実の厳しさを、暗示してるんだとか。
同様に「花嫁泥棒」「星の旅」のその続きが、「3年目の決心」や「5月になれば」だと想像すると面白い気がします。
愛さえあればいいと若さゆえに駆け落ちしたり、夢見がちな同棲生活から、家族のしがらみや家庭という責任ある現実が迫って来た時、「3年目の決心」なのか「5月になれば」なのか。
個人的には「5月になれば」の方が平凡だけれど幸せな気がします。

〇群像劇
これは私の印象でしかないのですが、シンガーソングライターはだいたい私小説型で、自分の体験した人生を歌にする人が多い気がします。それが本人の思いを本人が歌うという作り物っぽさがない魅力なんですが、こと、さだまさしさん、財津和夫さん、あんべ光俊さんらは、群像劇タイプだと私は感じています。
私小説型の自分の体験に近い「君と僕」の人生とは違った、想像の中の第3者の人生のイメージを持っているんだと思います。
つまり老若男女、広い年齢層キャラクターの人生を、物語として想像して作品に描けるということなんですけどね。
きっと作家もソングライターも早熟で老成してるものなのでしょう。
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この日、おでってホールの隣に宮沢賢治啄木青春館があって、開演まで見学してましたが、彼らは20代後半〜30代でこの世を去っています。夭折した作家(病死自死どっちもありますが)から影響を受けたりすると、20代が人生の終着点に思えるのも頷けます。私自身、、20才を越えた人生なんてもう惰性で生きてるみたいに価値がないようで、高校の時は全然イメージ出来なかったです。
そんな痛い時代さえも懐かしく輝いて思えるから、あんべさんのこの日の満席のおでってホールのコンサートは、とっくに化石になっていた魂に、命が吹き込まれたようで、泣けてしょうがなかったです。

このコンサート、あんべさん自身「作品を歌いながら発表時の20代の自分が蘇り、またそれを現在の自分が見つめるという不思議な感覚に襲われました。」と報告されてます。
来年3月14日、渋谷伝承ホールでまたこのコンセプトのコンサートをされるそうです。MCが面白い小野寺さんの出番があるとうれしいですね。
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小野寺さんからもサインもらいました。握手もしてもらったし。菊池さんと二人でワゲスターズ再結成。新曲書いてるそうですよ。

仙台の感想と二つまとめて書こうと思ったんですが、なんかだらだら書いてしまいました。orz...
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