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2019年12月24日17:25

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大島渚と朝鮮(再録)−−「戦場のメリー・クリスマス」と日韓関係の現在

(再録)大島渚と朝鮮


http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori-rekishiokangaeru/archives/77899780.html

大島渚と朝鮮(2010年08月21日ミクシイ日記再録)

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大島渚監督の『戦場のメリー・クリスマス』(1983年)は、第二次大戦中の日本軍捕虜収容所を舞台にした映画です。


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(関連する日記です)


物語は、その捕虜収容所で、連合軍捕虜の世話係をして居た朝鮮人軍属カネモト(ジョニー大倉)が、オランダ人捕虜に性的虐待を加えた事が発覚し、それを知った日本軍軍曹ハラ軍曹(ビートたけし)が、イギリス人捕虜ローレンス(トム・コンティ)の立ち会いの下で、その朝鮮人軍属カネモトに自決をさせようとする場面から始まります。


この映画は、もちろんフィクションです。しかし、この冒頭の当惑させられる様なエピソードには、第二次大戦中、軍属として日本軍に従軍した朝鮮人軍属の状況が、かなり反映されて居るのではないか?と、私は、思ひます。


即ち、日本軍は、従軍した朝鮮人軍属に連合軍捕虜の世話係をさせる事が、実際、多々有った事、そして、それらの朝鮮人軍属が、しばしば、捕虜と成った連合軍兵士との間で、戦後、捕虜虐待の嫌疑を受ける様な問題を起こす事が有った事を、『戦場のメリー・クリスマス』の冒頭のこの逸話は、かなり反映して居るのではないか?と、私は、思ふのです。


それらの事例の中には、連合軍捕虜による誤解や誹謗も含まれて居たと思はれます。しかし、とにかく、実際に捕虜たちと接する事の多かった朝鮮人軍属が、そうした理由から、戦後、BC級戦犯として連合軍によって訴追され、時には、冤罪の事例を含めて、処刑される事が有った事は、しばしば語られて居る通りです。


思へば、大島渚監督は、この冒頭のエピソードにおいて、随分と挑発的な題材を描いて居ます。朝鮮人軍属による連合軍捕虜への性的虐待と、それに対する日本軍の自決強要とは、随分刺激的なテーマです。今思へば、この映画のこの部分を「朝鮮人差別」と見なす人が居なかったのかどうか、いささか気に成るところです。そして、当時、韓国では日本映画を見る事が出来ませんでしたが、日本映画が解禁された今、DVDなどでこの映画を見た韓国人が、この映画のこの冒頭部分をどう見、感じたかも、興味の有る所です。


その冒頭のエピソードにおいて、日本軍軍曹であるハラ軍曹(ビートたけし)が、上官であるヨノイ大尉(坂本龍一)に、事態を説明する際、語る台詞(せりふ)は、この様な物です。



「これは処刑ではありません。軍属カネモトは、自分が犯した罪を恥じて自分で自決しようとして居るのです。」

「これは武士の情けであります。勤務中の事故死とすれば、カネモトの遺族には恩給が下がります。カネモトの家族も食ふや食はずの生活をして居るに違いありません。」



初めてこの映画を見た時、ハラ軍曹(ビートたけし)が語るこの台詞に強烈な印象を受けた事を覚えて居ます。捕虜に同性愛的感情を抱き、性的虐待を加えた朝鮮人軍属に自決を強要しようとする鬼軍曹が、実は、同時に、朝鮮に居るであろうその軍属の家族に恩給が下りる事を考えてその様な過酷な処罰をしようとして居るこの場面に、私は、戦前の朝鮮の貧しさを思はずに居られませんでした。たとえこの軍属が、不名誉な出来事に対する処罰で命を絶たれても、彼の遺族が日本の恩給をもらえるのであれば、どれだけ助けに成るか分からないと言ふこの絶望的な貧しさ。それが、当時の朝鮮の貧しさだったと言ふ事です。


初めてこの映画を見た時、大島渚監督が、朝鮮民族に対して抱いて居た感情の深さが、私には印象的でした。大島監督が、このスキャンダラスなエピソード(朝鮮人軍属によるオランダ人捕虜への性的虐待とその朝鮮人軍属に日本軍が強要した自決)を通じて、当時の朝鮮の貧しさを、観る者に想起させようとして居る事が、強く感じられたからです。


小松川事件を題材にした『絞首刑』もそうでしたが、大島渚監督は、朝鮮と朝鮮人にこだわり続けて来た映画監督です。それが、この映画(『戦場のメリー・クリスマス』)にもこうした形で現れて居ると私は思ひますが、その一方で、大島渚監督は、しばしば、朝鮮人(韓国人)に対して、厳しい態度を取る事が有りました。


1980年頃、筑紫哲也氏なども同席した日韓フェリー上の日韓の対話番組の収録中、同席した韓国人出席者に向かって「バカ野郎!」と言った事が「問題」に成った事も有りました。又、もっと後に成って、『朝まで生テレビ』において、韓国人たちの日本への批判について、「聞き飽きた」と言って、切り捨てた事も有りました。


大島渚監督は、日本の政治的区分では「左翼」とされて来た人ですが、韓国・朝鮮については、朝鮮民族を温かい目で見る一方で、日本の普通の「左翼」からは外れた、非常に厳しい事を言ふ事も有った点が興味深いと思ひます。


韓国の人々は、ただ相手(韓国人)が喜びそうなリップ・サービスを口にするだけの日本人と、時には「バカ野郎!」と言ったり、「(韓国人の言ふ事には)聞き飽きた」と言ったりしながら、あの時代の朝鮮の貧しさを、こんな挑発的な物語を通して、世界に向かって語った大島監督の様な日本人のどちらが、真の友人であるのか、『戦場のメリー・クリスマス』のDVDでも見ながら、ゆっくり考えてみてはどうだろう?と、思はずに居られません。


平成22年8月21日(土)

平成30年12月23日(日)
平成最後の天皇誕生日=7人のA級戦犯んが処刑された日に







     西岡昌紀(内科医)

http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6211346.html




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■「最悪」という言葉、使うのやめよう 日韓100人対話
(朝日新聞デジタル - 12月24日 10:33)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5913601


日韓関係が「最悪」といわれるさなか、韓国・京畿道高陽市で11月下旬、「日韓市民100人未来対話」が開かれた。日韓50人ずつが腹を割って話し合い、今後、共同プロジェクトに取り組むことを確認した。


 対話は2017年に始まり、今年で3回目。韓国国際交流財団(KF)やソウル大学日本研究所、早稲田大学韓国学研究所が主催し、両国から様々な職業や年代の人が参加してきた。


 今年は他の民間交流の中止が相次ぐなか、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)がぎりぎりで維持された直後に、予定通り開かれた。KFのイ・グァンチョルさん(50)は「政府間の対話が難しい時こそ市民同士で議論を続けることが重要」と語った。


 韓国・釜山市内の高校で日本語を教えるチェ・アルミさん(32)は「お互い、文化にはいいイメージがある。もっと好きになるエネルギーもあるのに、政治に左右されて交流しないのは非常に残念」と参加した。


 日本に留学した時に「韓国は嫌い」と耳にした。日本語を学ぶ釜山の高校生が、留学や日本製品の購入をためらう現実もある。「一日でも早く、仲良くなったらいいな」と話した。


 対話は泊まり込みで3日間。最も白熱したのは2日目の八つの「分科会」だった。コの字形に座り、市民の平和連帯や災害対応、草の根交流といったテーマで話し合った。


 災害対応の分科会では、一般社団法人「ピースボート災害支援センター」の小林深吾さん(39)が「災害は私たちを被災者にも支援者にもする。だからこそ、地域だけでなく国境をも越えた支援の枠組み作りを」と呼びかけた。小林さんは東日本大震災後、宮城県石巻市などで支援活動を担ってきた。韓国側からは「被災者のニーズをどう把握するのか」などと質問が相次いだ。


 KFは参加者有志から共同プロジェクトを募り、最高約100万円を助成する。成果は来年日本で開く4回目の対話で発表してもらう。小林さんは、日韓の市民が共同で被災地を支援したり、防災・減災プログラムを作ったりするプロジェクトを進める考えだ。


 初回から関わるソウル大学のナム・キジョン教授(55)は「活発に意見が出て、3回目にして随分と対話が進化した。アイデアを具体化し、実際にできる活動を考えたい」と話す。


 ソウルの大学に留学経験がある慶応義塾大学4年の清水真帆さん(22)は、年1回の対話だけでなく、日常的なやりとりが大事だと考えている。「SNSで互いの悩みや好きなことを共有したら、その時点でもう『交流』じゃないかな」


 最終日は100人で総合討論をした。小説家のイ・ジンさん(37)は「韓国にポジティブな考えを持つ日本の20代と出会えたことが印象的だった」と笑顔で振り返った。参加者の一人は「もう『最悪』という言葉を使うのはやめよう」と呼びかけていた。(三井新)

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