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2019年12月23日00:11

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信仰は必要か

☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。
 世界中のすべての方が幸せにありますように!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆
2019年 令和元年(平成31年) 
12・22(日)
 
 
   信仰は必要か
   
  
 姫野です。
 今日京都は曇りのち雨の一日でした。
 
 ど〜も、いかがお過ごしでしょうか。
 はや、今年も残すところ10日を切りました。
 今日は醍醐のスーパーでサーロインステーキ
 を買って、パスタと一緒にいただきました。

 
  君により 思ひならひぬ 世の中の

   人はこれをや  恋といふらむ
     
               在原業平

  (意)
   あなたのおかげで知るようになりました。
   世の中の人はこれを恋と言うのですね。
   業平らしい歌で、僕の好きな歌のひとつです。

  人は自分が経験しないと、なかなか
  現実にその苦しさなどの実感がわからない。
  ということがあります。

  例えば
  道を歩いていて、急に自転車が飛び出して
  きて、相手が悪いのに、相手はこちらに
  「バカやろー、気をつけろ!」などと言われると
  何かやり場のない腹が立ちます。

  そして、それを他人に愚痴らないと
  腹の虫がおさまらない。などということは
  誰にでも似たような経験があるのでは
  ないかと思います。

  他人のことなら、
  「そんなことも時にはあるわよ」
  「そんなことにいちいち腹を立ててたら
   キリがないわよ」
  などと言えますが
  現実に、自分が経験すると
  腹の虫がおさまらないものです。
  何か仕返しをしてやりたくなります。

 さて
 あなたはこんなときどうしますか?

 多分、誰かに愚痴を聞いてもらう、
  1日2日寝ればだんだん忘れられる
 (日にち薬)という人も多いと思います。

 ただ、これもひどい、重いと
 恨みはいつまでも心の底に残ります。
 世の中には、思いもかけないひどい人も
 ひどい事も現実には意外にあるものです。

 自分の理性だけでは治めきれない
 感情のしこりが残ります。
 
 そんなことがあっても、明るく乗り越えて
 幸せに暮らすにはどうすればよいでしょう。

 僕は、ここが信仰の力がいる。
 信仰の助けがいる。
 場面のひとつと感じます。

 自分の力、自分の理性・知性のみで乗り越える
 のには限界がある場面です。

 神さま仏さまの力を借りる。
 神さま仏さまに自分の重荷は預ける。
 苦しみを吸い取っていただく。

 そんなことは、科学的合理主義、客観的事実
 として現時点では説明はつきません。

 でも、自分の力の限界を知ったとき
 人は初めて、その必要性に気付けると
 思うのです。

 僕は、幸せに明るくこころ穏やかに
 生きるには
 信仰は大切だ、いや不可欠だろう。
 そう思っています。

 僕のように、特に気に入った宗教団体が
 なくても、信仰は何か特定の宗教団体に入ら
 なければできないものではありません。
 個人でもてます。

 信仰は自分の限界を知ったときに
 自然に産まれるものだと思うのです。

 あなたはいかがでしょうか。

 ではでは
 愛を込めて!

 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro)
 ana38655@nifty.com

 今日も笑顔でニコッとね。

 何であれ、そこに愛が流れてこそ
 はじめてこころから楽しくなります。
 
 幸せはごく自然な
 あなたの命の本来の属性です。
 
 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」
 http://siawase1.at.webry.info/

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 姫野メルアド ANA38655@nifty.com

 生涯かかっても実現できないような
 大きな夢を持ちなさい

 案ずるな、必ず救うてやる!
 いつも響く仏の声です。
 
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