mixiユーザー(id:64333013)

2019年12月20日11:19

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同期のサクラが終わってしまったけど(ネタバレあり)

同期のサクラ。第一話の時点でハマれるドラマだと思った。特に主人公、サクラのキャラが際立っていた。
一番に驚かされたのは、サクラが納得いかないことに対して、息を吸い込むアクションを起こすところ。
最初に思ったのは、毒蛇の威嚇音のイメージ。
弱肉強食の世界。食うか食われるか。
弱い自分を強く見せるための威嚇。
入社したばかりの、ド素人であるサクラは、当然ながら弱い存在。そんな弱い存在が、大手の建設会社で生きていくには、自分を大きく見せなければいけない。
そして、食われないためには、飲みこまれないためには、毒が必要。
忖度という言葉は、悪い言葉ではないのだけど、上司のご機嫌取りという、悪いイメージばかりが定着してしまう昨今。
そんななか、忖度せずに自分の意見を押し通すというのは、役職のある立場の人間からすると、毒とも言える。
スズメバチにしろ、ヒアリにしろ、毒がなければ、人間にとってたいした存在ではないが、毒があるからやっかいなのだ。
フグにしても、キノコにしても、知らずに食べたら毒に殺られる。
けれど、毒を持たない弱者は、簡単に食べられてしまう。強者のただのエサ。
サクラが弾かれ、厄介がられるのは毒があるから。
極端なイメージだけど、そういう視点でこのドラマを観ていた。
序盤は同期たちとの絆を深めるための対立と葛藤を描き、後半は追い込まれたサクラを同期が方向修正していくという展開。
物語的に盛り上がったのは7話で、あとは最終回まで伏線回収と尺をつなげただけという感じもした。正直、サクラが意識不明に陥る必然があるのか疑問に思える。
ただ、複雑な時系列と、最終回までの尺を考えると、こうせざるを得ない部分はあったのだろうと推察する。視聴者に忖度しない、脚本家の意地も見えた。サクラの性格からしてコメディタッチのドラマかと思いきや、かなりシリアスな展開の社会派のドラマであったことが窺える。単なる同期との友情ドラマではない、日本の会社組織のありかたを省みるドラマであったことは間違いないだろう。
最終回の黒川の考えは、間違ってはいない。ただ、サクラとは方向性が違う。サクラも黒川を認めている。合併が決まった花村建設に、不安いっぱいで入ってきた新入社員に「この会社で大丈夫ですか?」と聞かれたサクラは「大丈夫です」と答えている。自分をここまで成長させたのは、同期たちだけでなく、黒川の存在もあったからなのだという、サクラなりの解釈だと思う。
忖度とは、相手の気持ちを推し量ること。
それがいい意味で、会社組織に貢献できることができれば、その会社は伸びていく。
権力者を嘲笑うかのような社会風刺が、このドラマの一番のテーマであり、最終回にそれが定着した。
この終わりかたが妥当すぎるくらい妥当だったと、自分は思う。
また、いつか新しい遊川ドラマに出逢えることを期待しつつ……。
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