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2019年12月17日20:18

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エックハルト・トールが語る 許すことと思いやりの違い 私のアウェイクニングの話 その41.スピリチュアルのよいところ メタフィジックス通信さん


エックハルト・トールが語る 許すことと思いやりの違い


あなたの存在そのものは、何者によっても傷つけられません

あなたの存在そのもの、つまり、あなた自身のより深い次元とつながった状態にあれば、許しは簡単になります。なぜなら許しとは、肉体のレベルであなたに行われたことに向けて、なされるものだからです。ある人からあなたへ痛みが与えられた、または何らかの領域侵犯がなされた場合です。

つながった状態から眺めると、なされたことの客観的な性質が分かります。つながった状態にいる時、あなたは決して傷つけられることのないものに触れています。その部分はあなたの中にあり、何者によっても傷つけられることはありません。傷つくのは「かたち」の次元の存在であり、感情体や肉体としてのあなたです。

許しの最初のステップは、それが無意識に行われたものだと理解すること。そして相手がしたことと、その人のパーソナリティを同等に考えることは出来ないと理解することです。あなたを「傷つけた」人は、自分の育った環境や条件によって、制限された思考によって動かされているだけなのです。

許すということは、悲しみや怒り、その他のネガティブな感情に留まらないことです。そしてそれが可能になるのは、「かたち」を超えた、あなたそのものに触れている時のみです。その次元には、恐れるべきものや、リアルでないものは、何も存在しません。なぜならそこは、神さまが存在する次元だからです。

傷とは、起きた状況に対してマインドが下す判断によって形成されます。実際、判断を取り払ってしまえば、さほど大きな事件は起きていないのです。

たとえば、あなたが誰かと会う約束をしたとしましょう。5時に集まろうと約束したのに、彼は現れませんでした。マインドは、こう判断します。「彼はひどいやつだ」「私は裏切られた」。そのような判断によって、「傷つけられた」と言う感情が生まれます。けれども、ありのまま起きた事実だけを見つめれば、「彼は来ると言ったのに、来なかった」という、たったそれだけのことです。しかし「裏切られた」という判断が、「傷つけられた」という感情を呼び起こし、マインドによって何度も反復・強化されます。そこで感じる「傷」は、エゴの自分が感じるものです。

なぜなら、エッセンスとしてのあなたは、それらを超えた存在だからです。

The Nature of Forgiveness | Is it Different from Compassion? by Eckhart Tolle on YouTube
関連記事: 食事に感謝してバイブレーションを上げよう フードブレッシングのいろいろ

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思いやりとは

思いやりとは、あなたとあらゆるすべてを結ぶ深い絆に気づくことです。この絆、つまり思いやりには、二つの側面があります。一つは、あなたはまだ物理的な肉体としてここに存在しますから、肉体のあなたが持つ弱さや儚さを、他のすべての人間、すべての生物と共有することです。「私はこの人と共通点がありません」と言うときには、あなた方には多くの共通点があることを覚えておいてください。

不死の次元、あなたの本来の性質を理解することが、思いやりのもう一つの側面です。深い感情のレベルで、あなたは自身の儚さだけではなく、他のあらゆる生物の儚さにも気づきます。肉体のレベルでは、死すべき運命にあります。存在そのもののレベルでは、あなたは永遠であり、輝く命です。これが思いやりの二つの側面です。思いやりとは、悲しさと喜びという一見反対のものが、一つに融合し、深い心の平和へと変容することです。これが神さまの平和です。

パワーオブナウ 魂が目覚める日々の言葉


許しというのは、許したから優れているとか、愛があるってことではないんですよね。宇宙には善悪はなく、出来事はニュートラルですから、許そうが許さなかろうが、どっちでもいいんです。でも、それが痛かったり苦しかったりするなら、和らげることもできて、それがここで言われている許しなのだと思います。

『 思いやりとは、悲しさと喜びという一見反対のものが、一つに融合し、深い心の平和へと変容することです。これが神さまの平和です』は、名言中ですね。生きることは、時々不格好だけど、それでも人生にイエスを言いたいです。


https://metaphysicstsushin.tokyo/2019/12/14/%e3%82%a8%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8f%e3%83%ab%e3%83%88%e3%83%bb%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%81%8c%e8%aa%9e%e3%82%8b%e3%80%80%e8%a8%b1%e3%81%99%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a8%e6%80%9d%e3%81%84%e3%82%84/


私のアウェイクニングの話 その41.スピリチュアルのよいところ

アメリカと日本は時差が大きくて、感覚的に言えば、アメリカの朝は、日本の夜だ。しかも日本は、日付変更線をまたいで翌日になるから、日本に電話をすれば、明日に暮らしている人と話すことになる。ちょっとした時間旅行のようでもあるけど、時差も距離も飛び越えて、今を通じてつながることの不思議さを感じる。

一方、文化の違いについて言えば、アメリカと日本は、時々、鏡写しのようだ。たとえば、日本でラグビーワールドカップがあった時は、普段はスポーツに興味のない人も熱く語るのを見聞きしたけど、アメリカではまるで注目を浴びていなかった。そもそも、ワールドカップとか、オリンピックの類には、アメリカ人はさほど興味がないらしい。CC(夫)に言わせると、アメリカ人は自己中だからだそうだが、もちろん、多民族国家だからでもある。国家と言う名の下に人々が団結するのは、微妙に違和感があるのだ。もちろん、健全なコミュニティを作るには、お互いを思いやり、違いを尊重する必要があるのは、どこの場所でも変わらないだろうから、どっちがいいと言う話ではないと思う。

また、過激な話題で言えば、日本人的にはぎょっとするかも知れないけど、今年、私が住むカリフォルニア州オークランド市では、マジックマッシュルームやペヨーテ、アヤワスカなどの幻覚植物を非犯罪化する条例が成立した。なんと、議会は満場一致だったと言う。非犯罪化はコロラド州デンバー市に続いて全米2都市目で、これにより、販売は不可でも、所有や使用は認められるようになった。この動きを先導したメキシコ系の議員によれば、大手薬局スーパーが存在しないメキシコでは、言わば、おばあちゃんの知恵袋的な民間療法として広く使われているのだそうだ。

一方、そんなアメリカも、酒タバコに関しては、日本のようにどこでも気軽に買ったり、飲んだりすることはできない。電車の中で缶ビールを飲もうものなら、誰かに通報されて、次の駅で警察が乗り込んでくるだろう。このギャップはなんだろうと思う。アメリカの大麻の話に眉をしかめる日本人がいるように、日本でのお酒タバコの話をするとアメリカ人があきれる。

どっちがいいと言う話じゃなくて、まるで、それぞれが若干違ったバージョンを生きるパラレルワールドのように感じる。

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先日、感謝祭の午後、友人の尼さん(通称シスター)と、ルーと私とCCで集まって、お茶をする機会があった。シニアたちは、久しぶりに会うと、互いの健康状態についての話になる。

シスターは、少女時代をベトナムで、その後、人生の大半をフランスで過ごしたため、漢方や鍼はもちろん、ハーブやエッセンシャルオイル、ホメオパシーが好きだ。アメリカには腕の良いホメオパスがいないと、よく嘆いている。

一方、ユタ州出身のルーは、いかにもアメリカンで、西洋医学しか信じない。 しかし、彼女のいいところは、個人の自由を尊重することで、彼女自身、誰にも何も薦めないかわりに、自分が信じないものを実践する人たちのことも否定しない。

帰って来て、夕飯を食べながら、CCがこんなことを言った。

「代替療法と西洋医学は、そもそもカバーする範疇が違う。西洋医学は症状に直接働きかけるけど、代替医療は土台となる体質やエネルギーをゆるやかに変化させていく。好みはあるだろうけど、どっちかが絶対と言うものでもないんだよね。」

それはスピリチュアルの考え方にも近いと思う

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「スピリチュアルで幸せになる」なんてフレーズは、よく見聞きする。でも、欲しいものを手に入れるとか、願いを叶えるだけなら、スピリチュアルじゃなくても問題ない。

私にとって、スピリチュアルが世の中に役立つと思うことは結構あるのだけど、一つは「答えは一つじゃなくていい」という気付きだ。

スピリチュアルでは、あらゆる宗教の神々や聖者を同時に認めるし、宇宙人も天使も妖精もユニコーンも、なんだってありだ。どれか一つだけが正しいということはないし、見方を変えれば、すべては同じソースの別の現れだと言うこともできる。3次元や5次元とは、単に順番であって、優劣の話じゃない。多次元的であるということは、あらゆる次元を同等に評価するということだと、私は思っている。
関連記事: 私のアウェイクニングの話 その26.12次元の集合意識・クリエイターズのチャネリングを受けた話

スピリチュアルは、誰もが違って、それでいいのだと気付かせてくれる。私たちには、それぞれの学びと役割があり、みんながその時のベストを尽くしているだけで、本質的には誰も間違いじゃないし、失敗でもない。あるがままの自分を無条件に愛すると言うことは、自分を誰かの上にも下にも置かないということだ。

価値観は、人や地域や国、時代によって異なる。どれか一つが絶対ということもない。私たちは常に変わり続けるエネルギーだ。バイブレーションがアップダウンするのは、ごく自然なこと。そして大切なのは、その時の自分にとって心地の良いバランスポイントを見つけることだ。

みんなが、自分のスピリチュアルの道のりを歩んでいる。道をどのように歩もうと、誰もが痛みや悲しみを経験し、愛や自己実現を求めている。そう気付くとき、他人の中にも自分を見る。私たちは、相似形だ。そうしてはじめて、私たちは、一つなるものの別々の表れとして、同じソースからやって来ているのだと実感する。

世界は役割分担だから、今の自分にできないことは、必ずしもする必要のないことだったりする。できるときに、できることをすればいい。自分に厳しく当たるのは、いつも自分自身であって、宇宙的には、誰もが最初から愛されていて、許されている。肩ひじ張ることは無いと気付かせてくれるのも、スピリチュアルのよいところだ。

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我が家では、上の階に住むゲイのカップルが、毎週末、ハウスとテクノをかけながらパーティーをする。隣の部屋に最近越してきた家族はイスラム教で、早朝から祈りを始める。隣のビルに住む同じ階の人は映画好きで、ある時は、ロッキーを1から3まで一気見して、鳴りやまないロッキーのテーマに眠れないこともあったが、幸いなことに、最近引っ越した。

そんなカオスと言うか、ユニークな場所に住めるのは、アメリカならではかも知れない。誰かの身に危険が及ぶことなく、みんなが楽しんでいる限り、ここでは自由だ。

でもよく思い出してみると、私が日本で最後に住んでいたのも、最寄り駅から自宅のマンションまで徒歩5分の間に、風俗やラブホテルが何軒もあるという変わった町だった。ここでもフラクタル、と言うか、なんだよ自分、ただのカオス好きかよ。

でも、そんな世界に愛とピースマーク、そして光を。

https://metaphysicstsushin.tokyo/2019/12/13/%e7%a7%81%e3%81%ae%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%82%af%e3%83%8b%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%81%ae%e8%a9%b1%e3%80%80%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%94%ef%bc%91%ef%bc%8e%e3%82%b9%e3%83%94%e3%83%aa%e3%83%81/


許しは本当に『自分のためになる。』というのは、最新のクライアントさんも見事に見せてくれてたので、本当にそうだ。と感じてました星

そして私にはアメリカの波動は無理だったけど、すごく気になってたアヤワスカが合法になったのは、ちょっと羨ましいです。

ツインも私も一時期、アヤワスカにものすごく興味津々だったけど、ペルーやメキシコの僻地までそのためだけに行く気はしなかったので、オーストリアかオランダに行こうか。まで言ってたけど、もっと簡単に引き寄せ、代わりにドイツでは違法にはなっていない(さらにアヤワスカのような激しい浄化も無い)イボガを引き寄せ、試してみたら、

一回ですごく沢山の謎が解けたのだけど、皆にもあげようと思い、二回目を購入したら、もう何の変化も無かったから、すでに必要な事には到達してたみたいです。

さらに事象がすごく動くようになっていて、ちょっとでも望んだら、すぐに何でも望んだ通りになってる(今日はなんとパスポートの郵送申請までが可能になってた)から、

マジで2020年にはもっと皆もどんどん時差無く事象に顕われ、色々と気づけるようになるんだろう。と、実体験からも感じてました☆
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