暫く
川島大臣の欲深な顔で
「いだてん」の世界がドロドロでした
でもまーチャンが身を引いて
「引きたくない」って言ってましたが
それでも
東京オリンピックを影で支えることになります
表の委員会と
影の委員会(まーチャンの家)が存在したようです
「東洋の魔女」と呼ばれた日紡貝塚の選手
ソ連に世界選手権で勝っても
戦っていれば、適齢期になります
「26歳〜30歳になって,普通の女の幸せを味わうことも無く
バレーだけをさせるなんて・・
これから後2年オレについて来いなんて言えない」と
叫ぶ大松監督が良かったです
彼女たちが
「私は青春を犠牲にして・・と言われるのがいやです」
「だって、いろいろしてみたけど、バレーほど好きな物なんかない!」
「青春を犠牲になんかしていない、私の青春はバレーなんです!」と
大松に迫るところは圧巻でした
「お前ら必ず全員オレが相手を見つけたる!嫁に行かせたる」
大松監督!!叫んでました〜〜〜ぁ
この頃のバレー選手のヘアアースタイルが結構重そうな感じでした
よく回転レシーブして形崩れないよなあとか思いました
あ、それは体操のチャフラススカもそうです!
女性が自分のためにスポーツを出来るようになった
変わったのよ
そして「変えたのよ」とまーチャンの奥さんが言っていました
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