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2019年11月30日04:52

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11月30日

ララ物資第一便としてミルク・衣類など450トンが横浜港に到着:昭和21年のこの日。ララ物資とは、ララ(LARA ; Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)が提供していた日本向けの援助物資のこと。ララはアメリカの救済統制委員会(大統領直轄の機関)が昭和21年6月に設置を認可した日本向け援助団体。昭和21年1月22日にサンフランシスコ在住の日系アメリカ人浅野七之助が中心となって設立した「日本難民救済会」を母体としている。当時アメリカにおける対外的な慈善活動は「海外事業篤志団アメリカ協議会」(American Counsel of Voluntary Agency for Work Abroad)が担っていたが、その対象地域は欧州のみであり日本は含まれていなかった。そのため、日本に対する援助物資輸送のために新たな援助団体を設立する必要があった。アジア解放前の抗日運動が冷めやらぬ中での「アジア救援公認団体」認可に際しては知日派のキリスト友会員の協力によるところが大きい。支援物資は昭和21年11月から昭和27年6月までに行われ、重量にして3300万ポンド余の物資と、乳牛や2000頭を越える山羊などもあり、全体の割合は食糧75.3%、衣料19.7%、医薬品0.5%、その他4.4%となった。多数の国にまたがり、多くの民間人、民間団体からの資金や物資の提供であったためその救援総額は不明であるが、推定で当時の400億円という莫大な金額であったといわれている。救援物資の20%は日系人が集めたものだといわれている。「アイスクリームにチョコレート、日本のみんなに下さった、ララのみなさんありがとう」という歌があったという。また、療養所でララ物資を受け取った歌人の歌がある(「華麗なるドレス身につけひとときははしゃぎてはみぬララの配給」)。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、ララ物資の一例。
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