中曽根元首相が死去した。
101歳の大往生。
中曽根元首相と言って真っ先に思い浮かぶのは、
「中曽根(ナカソネ)をみんなで泣かそーね(ナカソーネ)」
という最高のダジャレ。
小学校のとき、誰かが言っていて、
それ以来、頭から離れない。
首相としては、長期間首相をしていたことと、
レーガン元大統領と仲良くしていたということくらいしか、覚えていない。
今日、ラジオで衆議院議員の平沢勝栄が話していた。
平沢勝栄は、昔、『カミソリ後藤田』と言われた後藤田正晴 議員の秘書をやっていて、
後藤田正晴は、中曽根内閣で官房長官をやっていたので、
当時、中曽根元首相ともよく話をしたらしい。
中曽根康弘と、後藤田正晴は、元々意見が合わない部分が多かったのに、
なぜ中曽根康弘は、後藤田正晴を女房役の官房長官に据えたのか?
それが平沢勝栄はずっと疑問で、
後年、平沢勝栄が国会議員になったときに、中曾根康弘に
「なぜ、後藤田さんを官房長官にしたんですか?」
と聞いたらしい。
すると、緊急時などに対処する能力が高いという政治家としての手腕と、
自分にはっきり意見してくれる政治家であることを、
理由として挙げたとのこと。
中曽根康弘は、アメリカにすり寄った感はあるし、
なぜか、それとは逆に、憲法改正を志し、日本の自立を目指した。
あの頃から、アメリカへ媚びる日本の政治が始まったのではないかと思ってしまうし、
自立を目指しつつ、日本の自立を阻止したいアメリカと仲良くするという矛盾。
その後、安倍首相が『戦後レジームからの脱却』を掲げたくせに、
今ではそんなことは棚に上げて、憲法9条もグダグダの改正案になっていて、
相変わらずアメリカにすり寄っている。
ただ、中曽根康弘の決定的に素晴らしいところは、
自分に堂々と反対の意見を言う後藤田正晴という人を、
官房長官に据えたということ。
何度か、2人で意見を戦わせて、中曽根元首相が折れたこともあったらしい。
それでも、後藤田正晴をそばに置くことの重要性を分かっていた。
安倍首相にその器量はない。
反対意見を持つ政治家を側近に置くという度胸もない。
同じ自民党総裁であり、日本の首相なのに。
ログインしてコメントを確認・投稿する