【質問 kérdés】
「ニムロード80」とは?
Mi az Nimród 80?
【回答 válasz】
セベニ・ヂェルジ Szebeny György の構想に端を発する,ニムロード自走砲の80mm砲搭載型計画案.
1940年,セベニ技師は「動く要塞」製作計画をハンガリー国防省に提出した.
これは80mm砲を備え,トルディよりも装甲の厚い「動く要塞」の計画案だった.
スペックだけ聞くとティーガー戦車に近いが,時代はまだ1940年.
HTI(軍事技術研究所)は,生産の困難さと費用対効果の悪さを理由として,この案を拒否する.
トルディやチャバの数倍は高価になるというのがHTIの見積もりだった.
だが,時の国防相バルタ・カーロイ Bartha Károly はセベニ案に関心を示し,ベーズレル・カーロイ Bézler Károly 中佐に対し,ニムロード自走砲の車体に80mm砲を搭載した駆逐戦車の実現性を評価するよう命じた.
命じられた時の中佐の表情は,想像するに難くない.
同年9月,ベーズレル中佐は報告書を提出.
それによれば,80mm対戦車砲では反動が強すぎて,ニムロードの車体に搭載することは不可能で,搭載するとすれば80mm野砲になるとした.
また,砲塔は完全固定となり,左右それぞれ15°にしか向きを変えることができない.
費用も33.000〜44.000ペンゲーに達する.
要するに「高価な上に非現実的です」と暗に言っているのだが,バルタ国防相はセベニ技師に18M80mm野砲をニムロードに搭載する計画を依頼してしまった.
バルタの要望は,
装甲は50mm以上
対地目標に限定
砲の偏向角度は水平方向に-30〜30°,垂直方向に-10°〜30°とすること
乗員保護のために装甲の天蓋をつけること
だった.
1941年4月,HTIでの会議の席上で,セベニは次のような計画案を発表した.
・砲弾は装薬と砲体が分離していない,新型の一体型砲弾とし,ニムロードの「額板」につけた2つのコンソールに載せる
・装甲は20〜30mm
・仰角は50°
・車長のキューポラを屋根の上に追加
・非常口を車体側面に追加
・両サイドと上部にもハッチを追加(合計5つ)
だがHTI側の技術者たちは,
・改造費用が高すぎる(〜100.000ペンゲー)
・重心が高すぎる
・車体と砲の重量が増えすぎる
として計画案を拒否.
けれどもバルタ国防相は計画継続を望み,セベニ技師に対して行動の自由と予算45.000ペンゲーを与えた.
(何故に???)
1941年11月,ゼベニーは計画案を作り上げた.
それによれば,砲は仰角100°で対空にも使えるようになっていた(そんな要望は誰もしていなかったのに)
新型の80mm砲はトゥラーン中戦車の75mm砲と比較試験された.
結果,軍事技術委員会 Hadiműszaki Tanács は計画を否決.
その理由として,以前と同じ理由のほか,
・新型砲は最低限の要求しか満たしていない
・新型砲への改修とニムロードへの搭載には,276.500ペンゲーの費用がかかる(さらに高価くなってるやん)
・対空照準器を取り付けるためのスペースが,車内にない
・新型砲の砲口速度(580m / s)は航空機に対して十分な威力がない
・上部構造が密閉式のため,対空監視能力が低い
・超信地旋回できないため,固定砲塔では空中の標的をとらえきれない
・最初の量産型が登場するのは1944年末のことになる
さすがのバルタ国防相も1942年2月,計画を放棄.
試作車輌も作られずに済み,ラフな図案のみが今日残っている.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://karosszektabornok.blog.hu/2015/08/18/169_a_29_m_8_cm-es_legvedelmi_agyu
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