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2019年11月24日04:24

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11月24日

米軍マリアナ基地のB29爆撃機が東京を初空襲:昭和19年のこの日。日本本土空襲は、太平洋戦争中に連合国軍が日本各都市に対して行った爆撃である。昭和19年末から本格的な戦略爆撃となり、長期間の大規模な無差別爆撃も実施された。
昭和19年6月にB-29爆撃機による初めての空襲が八幡製鉄所を目標にして中国の成都の基地から行われた(八幡空襲)。成都からの爆撃はB-29航続距離の制約で九州北部しか爆撃できず、成都へのB-29用燃料輸送の困難のため出撃回数も限られていた。このためにアメリカはマリアナ諸島を攻略、大規模な航空基地を建設すると日本本土の大半が攻撃目標となった。空母搭載機による日本本土への攻撃も、沖縄に対する昭和19年10月10日の十・十空襲、昭和20年2月の関東地区空襲(ジャンボリー作戦)などが行われた。当初昭和19年11月、第21爆撃集団司令官ヘイウッド・ハンセル准将は昭和19年11月23日から出撃命令を出し、初空襲は昭和19年11月24日となったが、マリアナ基地の未完と悪天候で戦果が上がらなかった。東京、名古屋の対する爆撃で主目標を中島飛行機、三菱重工、第2目標を市街地とする爆撃の命令を行いつつも、11月29日には、東京工業地域を第一目標とした最初のレーダー照準による夜間爆撃が行われ、昭和20年1月3日には名古屋のドッグ地帯と市街地を第一目標とした昼間爆撃を実施している。これらの爆撃でハンセルは焼夷弾による無差別爆撃をテストしており、大規模な無差別爆撃の準備を進めていた。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、空襲の主力となったB-29戦略爆撃機による爆弾投下。
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