「ラスト1秒シュート。〜あきらめない人生には終わりはない〜」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20527 (写真入り記事)
小学2年生のこと、担任の先生が、雨の日の体育の授業の時に次のような話をしてくれました。
「白熱したバスケットボールの試合が行われました。試合は20:20の引き分けでした。残り1秒の時に、一人の選手がロングシュートを放ちましたが、途中で試合終了のホイッスルが鳴りました。そのボールはゴールに入りました。この試合どうなったと思いますか?」
全員が黙って聞いていました。
「シュートを放ったチームが勝ちました。みんなも、最後まであきらめないでがんばりましょう!」
それからというもの、そのことで頭が一杯になって、何とか、幻の残り1秒シュートを放ちたいと思いました。
次の体育の授業の時、バスケットボールの試合は10:10で終盤を迎えますが、なかなかお互いに点数を入れられませんでした。
先生が「残り30秒」「残り20秒」「残り10秒」とカウントしてくれました。
私は、最後の1秒の時にシュートを放ちました。
ボールが空中にある時に、終わりのホイッスルが鳴りましたが、そのボールが見事ゴールに入りました。
クラス全体で大騒ぎになり、私はその日「ヒーロー」になりました。
心に思い描いた通りに、残り1秒シュートが決まってうれしかったことを今でも忘れられません。
私は、「何があってもあきらめてはいけない!」という担任の先生に教えてもらった教訓をしっかりと心に受け止めました。
本当に良い経験でした。
伝道の働きを続けることは、時には忍耐が必要です。
特に、思った通りに進まない時こそ、忍耐が必要です。
忍耐とは、ただ黙って耐え忍ぶだけのことではありません。
耐え忍びながらも、神と共に前に進んでいくことが、聖書の忍耐の言葉の言語の意味です。
牧師であり、心理学者、哲学者であったロバート・H・シュラー氏は、「逆境の時にはいつか終わりが来る あきらめない人生に終わりはない」と語りました。
つらい時、私の心を支えてくれた言葉です。
しかし、本当の忍耐は、重たい荷物を背負い続けていますので、前にも進めず、耐える力もなくなり、つぶれてしまいます。
人はそこまで忍耐してこそ、キリストと本当の意味で出会えるのではないかと思います。
人がつぶれる時、それは、神と出会う時です。
そこまでいくためには、どうしたらいいでしょうか?
�� 何事もあきらめないでやり続けること
�� 聖書の言葉を実行すること
です。
しばらくしたら悲鳴を上げるか、つぶれてしまいます。
聖書の言葉を実行することは可能でしょうか?
「汝の敵を愛せよ!」です。
不可能に決まってます。それができたらイエス様(救い主)はいりません。
敵を愛せるとしたら、もはや敵ではありません。敵を愛するとは、土台無理なことなのです。
神に出会う以外に道はありません。
神と出会ったならば、神と共にあきらめない人に変わります。
私は、最後の1人が福音を聞いてくれるまで、伝道を続けていきたいと思います。
神は私たちを導かれる方です。神に祈り、神に聞きましょう。
もし、神の御心でないならば、潔く手放す勇気が大切です。
しかし、神の御心ならば、死んでもあきらめない人にさせて頂きたいです。
共に、「神様、あきらめない人にさせて下さい」と祈っていきましょう。
今日も、素敵な一日でありますように。
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