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2019年11月07日18:27

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序奏と華麗なるロンド

フェルディナント・リース作曲
序奏と華麗なるロンドWoO54
クリストファー・ヒンターフーバー(ピアノ)
ウーヴェ・グロット指揮
ボーンマス交響楽団



かんち自身の解説

再び、リース君登場です!

リースの作品の魅力って、決して師匠ベートーヴェンの通りじゃないってことです。むしろ師匠のような転調もありつつも、新しいロマン派的な音楽を作曲し続けたことではないかと思います。それゆえに前期ロマン派の作曲家たちが有名になるにつれ、評価が下がってしまった作曲家だと思います。

通常は2プロは管弦楽曲もしくは協奏曲ってことが多いわけなんですが、今回はメインが第九よりもながーい曲なので、それを一緒にしたようないわゆる「幻想曲」風のこの曲を持ってきました。リースの華麗なる世界を、存分にお楽しみください。なお、同一の作品が作品番号でありますがそれとは違う作品です。

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今月のお買いもの、平成28年4月に購入したものをご紹介しています。今回はナクソスのフェルディナント・リースのピアノ協奏曲集の第4集です。ディスクユニオン新宿クラシック館での購入です。

リースはこのブログでも以前ご紹介したことがあった、ベートーヴェンの秘書を務めていた、作曲家、ピアニストです。

今月のお買いもの:ベートーヴェン/リース ピアノ三重奏曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1215

フェルディナント・リース
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9

リース Ries, Ferdinand [ ドイツ ] 1784 - 1838
http://www.piano.or.jp/enc/composers/411/

珍しくウィキとピティナはほぼデータが一緒なので、リースに関してはウィキは信用できると言っていいでしょう(ただ、ピアノ独奏曲を見てみると変奏曲も数多く手掛けている点が分かるのでピティナは素晴らしいです!)。

そのウィキのページを見てみると、真摯に作曲に取り組んだ人であったことが窺えます。作品もそのためなのか、しっかりとしたものが多いです。

ピアノ協奏曲は師匠のベートーヴェンよりも多く書いているジャンルですが、その中から、このナクソスのアルバムは第5番と第4番、そして「序奏と華麗なるロンド」が収録されています。そしてこのアルバムは、以前取り上げたベートーヴェンとのカップリングよりも明快に、リースの音楽がいかなるものであるのかを示す内容になっています。

まず第1曲目のピアノ協奏曲第5番。「田園風」という標題が付いており、しかもそれはリーズ自身が付けたものですが、作曲は1814年と、実はベートーヴェン存命中の時代です。すでにリースはベートーヴェンのもとを離れてフリーランスの音楽家としての活動を始めていた時代ですが、ベートーヴェンよりも年下にも拘らず、音楽的には古典派であると言えるでしょう。ベートーヴェンよりも年下の人たちがロマン派へと移行していた(例えば、ウェーバーがそうです)この時代において、古典派的な作品を生み出していたところに、ベートーヴェンの弟子という、恐らく彼自身の誇りのようなものを明確に感じます。

次のピアノ協奏曲第4番は、第5番より番号がしたという事はつまりそれだけ第5番より早い成立で、1809年の作品です。その意味では、この二つは明確にベートーヴェンの中期様式の影響下にあります。

ところがです、最後に収録された「序奏と華麗なるロンド変ホ長調」は作品番号が付いていませんがWoO54が付されたものです。作曲年は1835年。リース最晩年の作品は、ウィキの記述とは若干異なります。確かに、古風というか、古典派の気風は残っているものの、ロマン派の時代の、所謂「ヴィルトォーソ」に合わせたものです。

様式的には確かに古風です。当時はすでにロマン派の時代ですから、協奏曲でヴィルトォーソぶりを見せつけるのが流行っていた時代です。その時代に合わせるかのように、ピアノが動き回り、超絶技巧気味な音型になっているのです。その上で、落ちつきも存在するこの作品は実にリースらしい作品だと言えるでしょう。

そもそも、これら3つの作品は古典的な協奏曲のスタイルを採りつつも、例えば長い序奏は必ずしも主旋律と一致しないなど、前期ロマン派的な部分も多分に存在します。リースはベートーヴェンの中期様式に立脚しながらも、時代の先端も取り入れていたことがよく分かります。さすがベートーヴェンが自身のピアノ協奏曲第3番の演奏で、リースが自分で作ったカデンツァを、それまではカデンツァを演奏することを許していなかったにも関わらず、評価しただけあると思います。ベートーヴェンはそこで、リースの作曲家としての才能を確かに見いだしたと言えるでしょう。

ベートーヴェンの弟子であった期間はわずかでしたが、リースは確実にベートーヴェンを師と仰ぎみていたのが、これらの作品から明確に示されています。中期様式を基本に置くこともさることながら、それだけに飽き足らず新しいことにもチャレンジしていくその姿勢もそうです。単にベートーヴェンの弟子であるという姿は、かつてリースの死後作品が忘れられていったのと同じ評価になることでしょう。

再評価が巻き起こったのは、リースの作品にも独自性があるからです。特に第4番にはその独自性が、オーケストラの序奏が第1主題を必ずしも演奏していないという点に出ています。オケとピアノとで全体で第1主題が奏されているのですが、確かにこれはベートーヴェンもやっていることですが、それを見事に自分の作品で単なるまねではなくきちんと導入しているのが素晴らしいですし、リースの非凡さを感じます。

ベートーヴェンがそのままもう少し年少だったら・・・・・と思わせるだけのものを持っています。それは恐らく、ベートーヴェンと同じく若い日に苦労を強いられたからであろうと思います。社会の変革によって家庭の安定性が崩れ、音楽教育に大変苦労したリースは、同じように貧乏の中苦労するベートーヴェンに親しみを共感を得たことでしょう。この3つの作品には、そういったリースの「想い」というものが、様式としてぎっしりと詰まっています。
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