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2019年11月01日20:32

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映画「ジョーカー」評

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■未見のかたは、以下お読みになりませんよう。

主役は40代後半か50代の芸人志望の男アーサー。財政と治安の悪い町で設備の古い集合住宅に、病弱な母親ペニーと暮らしている。

仕事は客寄せパンダ。ピエロの化粧で奇抜な色のカツラをかぶり、楽器店の閉店セールの看板を掲げて道行く人へアピールするところから物語は始まる。

不安定な収入。やることなすこと上手くいかない毎日。
脳神経の障害で楽しくないのに大声で笑ってしまう奇病。
カウンセリングを受けて服薬しているが改善の見込みはない。憂うつなアーサーに追い打ちをかけるように市の財政悪化でこのカウンセリングも閉鎖。

家に帰れば病弱な母親の看病。父親はいない。
母親は以前住み込みで働いていたからと援助の望みを託し、裕福な男、トーマス・ウエインに手紙を書き返事を待ちわびている。だが返事は来ない。

楽しみはテレビのコメディ番組。熟練の司会者マレーは上品な冗談とキレの良い話術で人気者。
無名の芸人や話題の人物を番組にゲスト出演で招待しているため、いつか自分も脚光を浴びたいと願うアーサーの憧れだ。

そんなある日、仕事仲間から銃を譲りうけ持ち歩くようになるアーサー。
仕事で派遣先の小児病棟に慰問で訪れた際、ピエロ姿で軽快に踊り病室で子どもたちを和ませるも、うっかり銃を床に落としてしまい、雇用主からひどく怒られ意気消沈。

ひどい落書きだらけの車輌の地下鉄で、失意のなかピエロの化粧のまま帰宅するアーサー。
そんなとき、同じ車輌に居合わせた若者三人にからかわれ暴行されたため銃を発砲、三人とも殺害してしまう。

この若者たちがトーマス・ウエインの会社のエリート社員であったため、ピエロによる殺人を、トーマス自身が未逮捕の犯人に対しなじる姿が報じられるが、貧富の差が激しいことへの不満をつのらせている貧困層からピエロは英雄視されることとなり、ピエロの仮面が町中で流行りだす。


場末の劇場。出番を待つアーサー。素顔での芸披露。
スポットライトを浴びるが緊張から上手く喋れない。まだ何もしていないのに、観客をおきざりに一人で大声で笑ってしまい止められない。
しかし、客席後方では、同じ集合住宅で知り合った交際中の黒人女性がアーサーの芸を楽しみにして温かく見守ってくれている。

気分よく帰宅。
再度トーマスに書いた手紙がテーブルにあるから投函してほしいと母親に頼まれる。了解し、母親を寝室に連れていく。
その後、何気なくアーサーは手紙を開封。そこには、アーサーはトーマス・ウエインの息子だと書いてあるのであった。


広大な敷地と大きな門扉。
アーサーはトーマスに会いに行くがもちろん会わせてはもらえない。
富裕層だけが入れる劇場に忍び込み、なんとかトーマスに対面する。
自分はあなたの息子だと告白するもトーマスからは完全否定されてしまう。だが、精神病持ちの母親ペニーが屋敷で働いていたのは事実でアーサーを養子にしたと告げられる。

30年以上も前の出来事。しかし自分のルーツを究明したい。
アーサーは母親が入院していた精神病院の記録から真相を洗い始める。
知られざる自分の幼少期。
若き母親は妄想癖と自己愛性人格障害があり、幼いアーサーが同居人の男から殴られているのを傍観。児童保護局に発見されたときには、ヒーターに体が巻きつけられた状態で脳に損傷を負っていたのであった。

自分を苦しめてきた奇病は虐待による負傷に由来するもの。

アーサーは体調を崩して入院している母親の病室へ向かう。
なんの迷いもない。
仕事仲間からバカにされたのも、世間の冷たさに怯えるのも、はい上がれない貧しさも、この存在をこの世に作った者のせい。
原因がわかり、アーサーは変わった。
緊張せず、自身を思うままに表現しても誰にもとがめられない。比較や評価も痛痒でない。
愛せないのに子を持った母親の顔に、力いっぱい枕を押しつけ窒息死させる。


劇中、アーサーの奇病はこのあたりから描かれなくなる。


労働者のストライキでゴミ回収車が来ない荒んだ町でデモが予定される日、貧困層はピエロの仮面で集合場所に向かう。
一方、アーサーはかねてより憧れだったマレーのコメディー番組にゲストとして招待されているため、一張羅を着込み楽屋で待機。

出番前の挨拶で、ピエロの化粧をしたアーサーは本名ではなくジョーカーと紹介してほしいとマレーに頼む。
どうしてこの名付けをしたのか背景は不明なので唐突な感じが拭えない。

ピエロの化粧に政治的意図はないとしながらも、番組の途中から口汚く世の中への不満をぶちまけるアーサー。
静かに聞き、問いただしていく老練司会者のマレー。意見は対立のまま。

アーサーにとってマレーは親愛なる対象だが偉大過ぎて乗り越えられない。
まるで思春期の子供が経験する、父親への反発や抵抗そして敗北を、アーサーは今初めて経験しているようだ。
この敗北は絶対的に愛され守られた経験があれば時間をかけて乗り越えられるが、アーサーにはそれがない。
アーサーが持つ自分に都合の悪いものを抹消する武器、それは独りよがりの思考と銃だった。


母親の病室で一緒に看病にあたってくれた同じ集合住宅の黒人女性の彼女は、コーヒーを買って来てあげると額にキスをして出て行ったきりで、もうそばにはいない。
当たり前だ。すべてアーサーの妄想なのだ。
場末の劇場の客席で見守ってくれているのも、ただの願望。


臆病で繊細で意気地なし。反撃してこないものには執拗な攻撃性を発揮。

自分の頭の中だけで都合のいい話が進行してしまうため行動が突飛。
親密な交際相手と思い込んでいるが、実際には単なる隣人にすぎず、同じ集合住宅の黒人女性の部屋に侵入し不気味がられる。

父権の空白と精神疾患の母親の犠牲になり続け、友人もなく壮年期が目の前。

虎の威を借るキツネのごとく、ピエロの化粧は自分の無力さを隠す衣。

集合住宅付近で、踊りながら階段を降りるシーン。
アーサーに目星をつけ殺人事件を捜査する二人の刑事が、その奇っ怪な後ろ姿を言葉を失いつつも警戒しながら見ている目は、まさにアーサーに向けられた世間の眼差しそのもの。


だが、事件の犯人になることで、ようやく社会と繋がりが持て、自身の存在を認知してもらう者は世界中にいるので同情はしづらい。

ネタ帳を見ないと芸が披露できない、大衆の目が怖い、踊りも下手。
芸人となるには資質が不足している様子が描かれるので、見ているほうがつらくなる。

ではなぜコメディアンを目指したのか?
母親に「いつも人を笑顔にするように」と言われたからである。

男の子にとって母親というのはかように絶大なる存在なのだ。
しかし、父的存在のマレーを殺し、母親ペニーも殺した。
アーサーは死ぬまで一生、大人になれずに年をとり、母親の影響に怯えたまま生き続けるのだろうが、かなり格好悪い。

主演俳優の顔と中途半端な頭髪はこの格好悪さに適役。
描かれる殺害方法が残虐なのを除けば、難解な心理劇のようで、かつ上映時間が長い作品である。



















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