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2019年10月11日17:22

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『天寿国の末裔』704 平城京、前期

704《 平城京、前期 》

慶雲元年(704)唐の都を実見した栗田朝臣真人等の報告を受け、持統天皇(女帝)の命により、不比等は藤原京造営に着手する。
しかし慶雲四年(707)に遷都を詔する。慶雲四年(707)の遷都を詔された平城宮・京は、唐の都を模倣した。
 
平城宮の主要施設は、まず都としての、絶対条件的前期工事として大極殿・朝堂院があり、その東に大安殿(内裏)・東の朝堂院・式部省が設置建設され、築地大垣(5m位)が周囲を囲む。十二箇所の門があり南面中央は朱雀門である。大安殿・東の朝堂院の南面に、朝集伝院と式部省がある。門には警衛の氏族が守るため、壬生門や佐伯門のように名前の残る門もある。


 今は興福寺南円堂。不比等の霊廟は、以前は不比等が寝起きした指揮所だろうか。興福寺や奈良県庁の立つ所は、活断層の真上である。今の東向き・もちいどの商店街は崖っぷちの下側に当たる。よって南円堂は突出した高台であり、平城京は丸見えなのだ。
不比等はここに首皇子と飛鳥姫(光明子)を招き寄せた。

「首(おびと)よ。ご覧。あれが平城京だよ。北の、右手の方を見てご覧。あれが大安殿だ。あれが出来れば、お前はあそこに住まうのだよ」
 不比等は首に好々爺として皇子と姫に語りかける。
皇子と姫は平原に広がる人々の群れと点を認めている。所作は見えない。夥しい人々を点として認めるだけだった。しかしこの年になれば人々が「仕事を何かしている」ことは見てとれる。

。ほら、ここからは新しい都が丸見えだろう。西から東に真っ直ぐに道が延びる。(一条通り・二条通り・三条通りだ)北から南に真っ直ぐに道が延びるだろう。(上つ道・中つ道・下つ道だ。) 

「道が立て横に走り、交差する。そして土地が区画される。屋敷が立つ。甍の屋根が軒を連ねる。朝日夕陽に甍の屋根が照り輝く。あそこで働く人々の手により、美しく、大きな都がここに出来るのだよ」
 
 不比等は幼い二人の顔を覗き込む。子供たちの反応を見たいのだ。
 しかし二人の子供にはただの風景の一つにしか見えない。二人の幼子は久しぶりに会い、互いの成長と、もの珍しさに見合っていた。
「父上様、まだこの二人に都の話は無理でありましょう。この二人は我らと早よう遊びたいとせがんでおりまするぞ」

 年長の武智麻呂が不比等に声を掛ける。この日は四兄弟も後ろに控えている。
 見れば年下の宇合が目を爛々と輝かせている。年下の二人は恰好の遊び相手であるのだろう。不比等には他に房前・麻呂・宇合がいる。武智麻呂は年長であり、この頃には不比等を助けて都づくりに励んでいる。が、他の者はまだ少年期・青年期である。この日は宇合が率先して二人を遊びに連れだしただろうか。


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