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2019年10月11日09:42

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『天寿国の末裔』730光明皇后が施薬院を置く

『天寿国の末裔』

○光明皇后が施薬院を置く(1280年前)
 730年5月12日(天平2年4月17日)
 “施薬院”とは、古代、仏教の慈悲の思想に基づき、薬草を栽培し怪我や病気で苦しむ人を救う目的で建てられた国や寺の施設で、聖徳太子が四天王寺を建立した際、附属施設として建てたとの伝承がある。

 しかし文献上最も確かなのは、光明皇后の発意によって建てられた施薬院であろう。「続日本紀」巻第十の天平二年四月十七日に「始置皇后宮職施薬院。令諸国以職封并大臣家封戸庸物充価。買取草薬。毎年進之。」とある。

 読み解くと、まず皇后宮職(現在の宮内庁)内に施薬院が置かれ、光明皇后直接の管理下にあったことがわかる。聖徳太子伝承の施薬院は別として、伝承上確かなのに723年(養老7年)皇后の生家である藤原氏の氏寺・興福寺に建てられたのがある。皇后はこれを参考にして開設したと考えられる。

 施薬院の業務は先に記した通りだが、その運営費用は「職封并大臣家封戸庸物充価。」とあるとおり、職封(皇宮職の封戸)と大臣家封戸(生家の藤原家の封戸)からの収入の庸物(封戸の民衆の労役税)で、それを買取草薬(薬草の買取)の充価(代金に充てる)としている。毎年進之(献上)と命じているのは、施薬院での労役のほか薬草をそれら封戸にも現物庸として栽培させていたのだろう。今もそれらの薬草は東大寺正倉院に保存されている。(出典:続日本紀、講談社刊「日本全史」ほか


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