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2019年10月11日00:10

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45年ぶりの竹生島、それはそれは

竹生島にはなにかと縁があって、寺の住職は高校のときの野球仲間で、卒業してからもなにかと言うといっしょに遊んでた連れやし、高校の同級生が船着場の前で土産物屋をやってたりもする。
それなのに、行ったことは2度しかない。
1度目は小学校3年生くらいのときにきみえおばちゃんに連れていってもらって。
大津からのはり丸、彦根からのみどり丸、長浜からの弁天丸が同時に係留されてて、自分たちが乗ってきた戦前に造られた弁天丸とくらべて、ほかの2隻がでかくて立派なのに驚いた。
みどり丸にはカウンターの寿司屋まであって、そこでお寿司食べさせてもらったのまで覚えてる。

2回目で最後に行ったのはそれから2年後、夏休みに大阪の従兄弟家族がきたときのこと。
そのときいっしょに撮った写真を見ると、大阪の従兄弟は半ズボンにポロシャツ、野球帽被り靴下穿いて運動靴やったのに、ボクはランニングシャツに母ちゃんお手製の半ズボン、麦わら帽子にゾウリで、麻由美ちゃんはシミーズ姿。
45年前、都会の子と田舎の子はこんだけ違ったんやね。
それくらい行く機会を逃していた竹生島に行くことになったのは、ここしばらくよくないことばかり続いて元気のない大事な人を、西日本でも指折りと言われるパワースポットに連れていってあげて元気とつきを取り戻させてあげたかったから。

11時30分長浜発の3便は比較的空いてて、キャビンの中はどこでも好きなところに座れる状態やったけど、せっかくやからと2階、01甲板の後甲板、専門用語で言うとアッパーコーターデッキとでも言うか、プロムナードデッキとでも言うべきか、とにかく、船尾部の露天甲板に乗り込む。
暑くもなければ寒くもない中、キラキラ光る湖面にはねあがるしぶきを浴びながらのクルーズ、めちゃくちゃ気持ちええやん。
風が強いせいで、普段より荒れた湖面に光が反射して、銀色に光ってるんやもん。
天気晴朗ナレドモ波高シ。
秋山真之もびっくり、年に何日もないほどのクルーズ日和やと港の職員さんが言ってた通りやわ。
弁天丸の名を引き継いだ「べんてん」はウォータージェット推進で加速力がすごく、推定20ノット、内航船には珍しいほどの高速で琵琶湖を滑るように航り、30分で竹生島に到着。

参拝に向かうほかの乗客を尻目に、まずは船着場からすぐの野坂みやげ物店でおでんをいただく。
赤こんにゃく、丁子麩、玉子で450円。
観光地のこういうものって、値段だけ高くて出来は適当と相場は決まってる。
食べてみてびっくり、京風のだしのきいた薄味で、めちゃくちゃ美味い。
丁子麩を食べながらこれまたえらく美味い地酒を口に含むと、だしの味とあわさって至福のケミストリー。
東京行くと、日本酒のだし割りってのがよくあるけど、なるほどこれやったんやね。
琥珀色を帯びた地酒についてくる小鮎の飴煮や、おでんに添えられる自家製の柚子味噌もじつに気が利いている。
店主の矜持が感じられて心地よい。
おでんとコップになみなみの地酒2杯で1450円。
それにしても怪しからん、酒飲んだら、そのあと162段の石段をのぼるのがどんだけしんどかったことか。
そやけど同級生ってのはええもんやな。
ずいぶん久しぶりに会ったのに、そこにはなんの距離もなく、最後はなに遠慮しとんねん友達やないかとサービスまでしてくれた。

神社のほうから回ったほうが楽やとの野坂くんのアドバイスをあえて振り切り、順路通りに162段の石段を登り、本堂へ。
なんぼ暑くもなく寒くもないとは言え、酒飲んでることもあってかなりきついぞ。
でも、あがるにつれて素晴らしいパノラマが広がるし、昔の人の苦労を感じつつ、パワースポットに立ち込める静謐な空気に包まれるのは実に気分がよい。

少し下って伏見桃山城から移設した渡り廊下を抜け、神社へ。
ここにはかわら投げといって、素焼きの盃を10メートルほど離れた鳥居に向かって投げ、鳥居の間を抜ければ厄除けと開運につながるとの言い伝えがある。
1枚に自分の名前、もう一枚には願い事をと言うので、いっしょに行った相手の名前を書いてスタンバイ。
ほかの人のを見ていると、鳥居まで届かせようとして力が入って外してるのが多く、実際、間を抜けているのはほとんど見あたらない。

なるほど、ここは横手、いや、スリークオーター気味でスナップを利かせて、鳥居まで届けばいいってくらいに力を抜いた投げ方でやればええな。
てへっ、1枚だけでもなかなか入らんところを、2枚ともきっちり通過させてもらいましたわ。
さすがわし、今日のCSで投げたらジャイアンツ打線を抑えられたんちゃうか。

今度は上甲板の船尾部、正真正銘のコーターデッキでウェーキ(航跡)を肴にビール飲みつつ長浜港に戻り、湖上から見えていた下坂の大仏さんまで自転車で行き、市街地に戻って翼果楼で郷土料理の鯖素麺を食べながらまたもビールを飲む飲む。

かなり飲んだ後、自転車を返しに行き、豊公園あたりでまったり過ごして1日が終了。
1929時長浜発の電車で米原まで行き、岐阜方面に帰るあの人を見送ってから新快速で大阪へ。
新大阪駅から1歩外に出たら、2日前まで居座ってた夏の気配が払拭され、すっかり秋の空気に満ちていた。

めったにないほど充実していて、何年かしてから振り返ってもなにひとつ忘れていないはず。
ああ、あの日がターニングポイントだったんだと、たぶん一生の記憶に残るような令和最初の特別な1日やったな。


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