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2019年10月08日21:02

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727.1.3『天寿国の末裔』 天皇、大極殿にて朝を受け給う

727.1.3『天寿国の末裔』天皇、大極殿にて朝を受け給う

   
『神亀四年(727)一月三日 天皇、大極殿にて朝を受け給う。この日、白雀等を献ず。』 

 聖武天皇も、どうも珍しいものが大好きのようである。「縁起を担ぐ」これを吉兆と思うのだろう。しかしこれを吉と思うなら逆の「凶兆」もあるものだ。

『是年 二月九日 難波宮を造らんとす。』

 難波に拠点を置くべきと判断された。難波の都は焼失したままだったのかもしれない。これは予定行動であったことを「大号令」を掛けることにより本格的に推進し始めたのだ。


○『是年 二月二十一日 災異止まざるをもって、左大臣長屋王をして勅を宣べさしめ、官人奉公の善、不善奉聞せしめ、又、諸國々司の勤怠を巡監せしむ。』

 役人がきちんと努めを果たしていない。これを指摘するのは長屋王の務めである。彼は「損な役回り」でもある。


○『是年 二月二十三日、天皇今秋の豊饒を冀ひ、庶人に至る迄、塩・穀を賜ふ。』

 豊作祈願と見ておこう。


○『是年 三月三日 諸司、勅を奉じて官人善悪の状を報告し、十三日、天皇、正殿にて善政の者に物を賜ふ。』 

 勧善懲悪は指導者の能力と器量を測る。

○『是年 三月二十二日阿部朝臣廣庭勅を宣べ、衛府の官人の労苦を思ひ、布を賜ふ。』


 衛府の官人の仕事は都の警衛が中心である。しかし社会的分業の未分化なこの時代にあっては警察・消防・救急等の要素をかね合わせていたと考えて良いだろう。


○『是年 五月四日 天皇、恭仁の離宮に行幸し、六日、平城京に帰り給う。』

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○『是年 七月二十七日 筑紫諸国の庚午年籍に官印を印す。』

○『是年 九月三日 井上内親王を伊勢太神宮に侍らしめ給う。』
 県犬養広刀自と、聖武天皇との第一子である。神職とされたのか?。それとも一緒に伊勢参り行かれたのか。

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                記入目印
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○『是年 九月二一日 渤海の使者、出羽国に漂着す。仍て使いを遣わし、時服を賜ひ慰問せしめ給う。』


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