『天寿国の末裔』「遣唐使ー多冶比真人」
天皇は多冶比真人県守を呼び労う。そして唐の様子を聞く。多冶比真人の謁見する顔は紅潮している。
「まず私達は長安に着き、そして玄宗皇帝に宴集を賜りましてございます。後に鴻矑寺に止宿し、また孔子廟堂に礼拝を許されました。鴻矑寺は典客署(外務省・入管事務所のようなもの)を兼ね、朝貢・宴・送迎に当たる所であります。私はまず皇帝に取り入るべく手を施したのですが警戒の念厚く、港湾への出入りは出入国の時だけとなり、☆造船技術の習得は望むべくも有りませんでした。ここにまず私の不手際を帝様にお詫びしなければなりません」
当時の日本海軍は白村江の戦い(西暦６６３)に大敗北を喫している。また聖武天皇の希望に海外交易がある。造船技術は日本が枯渇するものの一つであった。
「よいよい。そなたが帰って来た事だけでも大きな収穫だ。ささ、私にあの国の様子を教えてくれ」
彼は目的の一つを達し得なかったのだ。しかし天皇の言葉に彼は安堵する。
「有り難きお言葉。では大唐の国の様子をお話いたしましょう」
――まずは則天武后(武則天)よりの話となります。則天武后は病気がちな高宗皇帝に代わり垂簾政治を行われました。初め唐は隋の政治機構を受け継ぎ、極めて貴族的な政治でありました。隋の時代より科挙試験が行われるようになりましたが、まだこの頃は科挙官僚は低い役職にしか登用されませんでした。
しかし則天武后はこの貴族政治を嫌い、新しい人材を積極的に登用しました。意志を貫徹するためには人心一新する方が都合が良いのです。
則天武后はこの低い身分の官僚たちに主眼を置いたのではなく、その登用には才能と忠誠を重視しています。出自を問わない才能を発掘する方法は一考に値すべき方法であるでしょう。
一方で則天武后はその存在基盤である皇后の立場を守ります。それは呵責無き無慈悲ぶりで話すに恐ろしい策略で敵対視する者達をも排斥します。それは民衆の知る所でもありましたが政治施策そのものは民衆生活の安定化に貢献した事により民衆からは支持されたのであります。それは反乱を企てる貴族たちの勢力の機先を制し勢力に発展させる事がありません。
則天武后が皇位に着いた(西暦690)後、国号を周とし、「道(教)先、仏(教)後」であった先の唐王朝とは異なり、武則天は仏教を重んじ、朝廷での席次を「仏先道後」に改めました。武則天は諸寺の造営、寄進を盛んに行った他、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、この事を記したと言われる『大雲経』を作ります。
また、これを納めるための大雲経寺という寺院を全国の州にそれぞれ作らせます。これにて民心把握に努め巨大な官僚機構に仏教の箍(たが)をはめ込んだのでございましょう。
洛陽近く郊外の龍門山奉先寺にある盧舎那仏の石像は、高宗の発願で造営されたと言いますが、その容貌は則天武后の顔に似ると言われます。
しかし則天武后もやがて歳をとり、やがては死に至ります。唐王朝は退位した則天武后は「則天大聖皇帝」の尊号を賜りました。その遺体は(西暦706)乾陵に高宗と合葬されたということです。
「なるほど女傑じゃの。それで葬式には皆が泣いたのか。涙を見せたのか」
「ははっ。死して名を残す事は出来ても涙を誘うのは難しい。しかし乾陵にはまだ墓参の人人々があります。また乾陵はそのことにより盗掘もされません。多くの財宝も有るという事ですが民衆が墓参する事により制せられてあります」
「なるほど。墓参により墓泥棒の機先を制する訳じゃな」
「真に、その通り。豹死留皮、人死留名」
「虎は死して皮を留め、人は死して名を留める。儂もそのようにありたいものだ」
「真に、天子様の仕事如何」
「私は全ての者を愛したいと思う。さすれば全ての者が余を愛してくれるだろうか」
「真に、天子様の仕事如何」
天平八年(７３６)のこの時期に、多冶比真人(廣成？・県守？)が、菩提遷那・道璿・佛哲等を伴い帰朝することの意味はとてつもなく大きい。このことは天皇を大いに勇気づけ、そして朝廷に激震を与えたのである。
「世界に開かれた日本に来客が有る」事の意味は途方も無く大きいのだ。
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