結愛ちゃん死亡「苛烈な虐待」
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その「理想」が妥当か否か、「理想に近付ける方法」が合理的・合法的か否かを考える必要は当然にある。
それをしなかった(できなかった)時点で、大人として失格・軽率・短絡的としか言いようがない。
現に被害者が死亡し被告人が逮捕・起訴されている時点で、「理想」はもう絶対に実現することはないし、仮に被告人が「理想に近付ける方法」を考えていたとしてもそれは誤り・失敗だったといえる。
例えどんなに素晴らしい理想(目的)でも、それを達成する手段(過程)がダメならば、目的は達成できないまたはまったく違ったもの結末になる。
まして、1人の人間の人生を決める子育て・絶対的正解のない子育てにおいて「理想」だけを追い求めるのは愚の骨頂だと思う。
先述したように、当該事件において、仮に「理想に近付ける方法」を被告人がある程度しっかり考えていたとしても、被害者が亡くなり被告人が逮捕・起訴されている以上、それは合理的・合法的ではないことは明らかだし、被告人の描いた「理想」の結末は「子供は死に(人の命を奪い)自分は犯罪者になる」という取り返しのつかないもので、被告人の「理想」とは程遠いものになったはず。
故に、当該被告人が人間の子を育てるには様々なものが欠如・足りなかったと言えるから、被告人が人の親になるのは早かった(適していなかった)と言っても差し支えないだろう。
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