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2019年09月08日20:58

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釜山は北朝鮮では無い

■曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表
(朝日新聞デジタル - 09月08日 08:09)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5780021

九州か機内か?と騒がれるが、一つのヒントは伊都国(現糸島市)であると思う。

ならば、伊都国を支配下に起きやすい地域となると、規模的に筑紫平野と思える。
そのエリアには、吉野ヶ里も入るし、平塚川添遺跡(朝倉市)も入る。
その筑紫平野の上流にあるのが、日田市。
筑後川という水運を使えば、簡単に筑紫平野と行き来できる。
さらには盆地なので、攻めやすく守りやすい天然の要害。

鉄鏡のことは、30年以上前から知っていた。
現物は10年前に九州国立博物館で見たぐらいですが。

再現したCGを見て驚いた。銅鏡とは全く格が違う。



個人的には、邪馬台国は北部九州連合(細かく言うと、福岡県・佐賀県あたり)だったのでは?と思う。水運を考えても日田はそれに組み込まれていたと思える。

「王となってから後は、彼女を見た者は少なく(自爲王以來、少有見者)、ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた(唯有男子一人、給飲食、傳辭出入)。宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた(居處宮室・樓觀、城柵嚴設)。」

楼閣や城柵プラス盆地ならばどうだろう?これほど守りやすい地形はない。
現在の福岡・大分の県境あたり(地名は夜明)に関所を設ければ、簡単には入りづらい。

また、多くの侍女が居たのではないか。ある程度武装した・・・と想像すると、ある女性が思い浮かぶ。
漫画「三国志」で、孫権の妹と劉備の話の部分で、武装した侍女にビビる話がある。
孫夫人(京劇では孫尚香)という女性も後半は謎に包まれている。

212年に孫夫人は揚州に帰郷。これで劉備と離婚。「夷陵の戦い(222年)で劉備が戦死したとの誤報を聞いて長江へ身を投げ〜」という話もあるが、謎に包まれている。

一方、卑弥呼の没年は242年〜248年と言われる。
「既に年長大であり、夫はいない(年已長大、無夫壻)」
意外にも孫夫人と年齢は近いのではないかと思える。
妄想を膨らませば、呉で居場所の無くなった孫夫人は海を渡り・・・と。
でも、卑弥呼擁立は180〜190年あたりという話もあるので、あくまでも妄想ですが。

もし、畿内説なら北部九州も含めた西日本を、その政権が治めていないと成り立たない。

先進技術を輸入して歴史のある九州王朝VS出雲や吉備と連合してどんどん巨大化していく、新興の機内勢力。
すでに、200年前後に北部九州を機内勢が制圧していたとすれば、畿内説が有力でしょうが、まだ支配できていなかったのでは?と思えたり。

巨大な楼閣や建造物があるからとか、墓が立派だからは邪馬台国の確証と言えないと思う。
つまり、魏志倭人伝に書かれていない都市があったのではないか?
今で言えば、外国人向けは東京中心。しかし、名古屋や大阪という都市もある。
魏志倭人伝というガイド本は、当時の日本の一部を表したものに過ぎないのだから、同時期に機内勢力があってもおかしいとは思わない。
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