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2019年09月02日12:51

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武力で失地を取り返そうとするとどうなるのか?――映画『無名兵士たち/アンノウン・ソルジャー』より

■丸山穂高議員「竹島も戦争で取り返すしか…」SNS投稿
(朝日新聞デジタル - 09月01日 00:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5770890


はじめに
 丸山議員がのたまったように、失った領土を武力で奪い返そうとしたらどうなるのか?2017年にフィンランドにて封切られた映画である『アンノウン・ソルジャー(無名兵士たち)』は、この問いにどこまでも丁寧に答えてくれる。それもこっちがうんざりするほど丁寧に…。この映画を見た後に、筆者はどっと疲れた…。これは、良質な戦争映画がもたらす典型的な「読後」感である。見た後で高揚感を感じる「戦争映画」があるとすれば、それは「戦争映画」ではなくて「軍隊の広報映画」なのだ。かの『トップガン』がそうであったように…。
 この『アンノウン・ソルジャー』という映画は、ヴァイノ・リンナ(フィンランドの国民的作家)が1954年にしるした歴史小説である『無名兵士たち』をベースにした戦争映画である。彼が舞台にしている戦争は、第二次大戦の一部である「ソビエト・フィンランド戦争(1939〜1944)」の後半部たる「継続戦争」である。映画は、�.侫�ンランドによる「失地回復」のためのソ連領侵攻(1941年7月〜10月 )、�▲侫�ンランドが「奪い返した」東カレリア地方を確保するための「にらみ合い」(1941年10月〜1944年6月)、��再び自国領を失うことになる、ソ連軍によるカレリア地峡侵攻(1944年6月〜9月)の3部に分かれている。
 日本の大学入試に「まず出てこない」戦争であるが、��の戦いはスカンジナビア半島史屈指の戦いであった。この映画にでてくる兵士たちは西欧世界からは「目立たない」ところで歴史の歯車に巻き込まれ、兵士に付きものの艱難辛苦を銃や装具とともに背負いながら、地べたを這いずり回って命をやり取りしていく。原作者のヴァイノ・リンナも、かつては、そのような兵士の1人であったから、この不朽の名作をものにできたのであろう。

※映画『アンノウン・ソルジャー』公式サイト
http://unknown-soldier.ayapro.ne.jp/

※「継続戦争」wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E7%B6%9A%E6%88%A6%E4%BA%89

※「ヴァイノ・リンナ」wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%8A


�.侫�ンランドによるソ連侵攻(1941年7月〜10月)
 ドイツがソ連へ侵攻した1941年6月25日、ドイツに呼応してフィンランド軍はソ連領への侵攻を開始した。ただし、ソ連の消滅を企図していたドイツ軍とは異なり、フィンランド軍の目的は約1年前の「冬戦争」(ソビエト・フィンランド戦争の前半戦:1939年11月末〜1940年3月)にてソ連に奪われた自国領の奪還にあった。赫奕と進撃していくフィンランド軍ではあるが、進撃シーンに用いられたBGMはどこまでも重苦しい…。このことからしても、この作品が「自国礼賛映画」ではないことが判る。

       ※侵攻開始時のBGM『Matka Alkaa=旅が始まる』
        


 映画の主人公であるロッカ伍長は、この「継続戦争」の開戦直前に予備役兵として招集された。彼の雰囲気は『戦争のはらわた』に出てくるシュタイナー伍長の「フィンランド版」である。だが、彼はシュタイナー伍長とは異なり、根っからの「戦争職人」ではなかった。そもそもロッカ伍長の本職は農夫であり、望郷の念を隠さない。彼は「殺されたくないから、仕方なく敵を殺している」と本音を述べ、四角四面に軍律を押し付け、馬鹿な命令を出す士官を殴りつけかねない男である。戦場での彼は、手榴弾と短機関銃でソ連軍の陣地を次々と抜き、ある時はたった2人で30人ばかりの敵部隊を全滅させた。これらの手柄をたてることによって、彼は部隊の中での居場所を確保していった。
 ロッカ伍長が所属する部隊の目標は、ソ連領カレリア地方の「首都」であるペトロ・ザヴォーツクという工業都市の占領である。しかし、砲兵や航空機をあまり持ちあわせていないフィンランド軍は、歩兵に依存せざるを得なかった。このため、生身の歩兵が、敵火線を迂回して機関銃陣地や戦車に至近距離までにじり寄り、爆薬を投げつけないと前へ進めない。彼らの闘い方を旧日本軍に例えると、「マレー半島攻略戦の速度で進軍し、沖縄戦のごとく捨て身で戦う」という、兵士たちにとって有り難くもない組み合わせになった。首尾よく任務を達成した兵士は五体満足で戻ってくるが、彼の手はワナワナと震えている。おそらく、死や負傷の恐怖と、爆薬が発する耳を聾するばかりの轟音などに由来する極度のストレスのためであろう。この兵士は、数年分の精神力を一度の戦闘で使い切ってしまったのだ…。
 やっとの思いで任務を達成した兵士たちへと下される命令は、やれ「さぁ、もっと進んで敵の補給路を切断するんだ!」だの、「もっと戦果を拡張しろ」だの、兵士と前線の実情を全く理解しないものであった。クラウゼヴィッツは『戦争論』において、「戦闘という激しい肉体労働を終えた兵士に、戦果を拡張させること」の大事さを説いているが、この映画を見ると、かの文章が指揮官からの「上から目線」の文章であることが判る。おまけに兵士たちの日常生活たるや「飯は食えるが、毎日が野宿!おまけに、ひたすら歩き続ける」という生活である。このような細かい描写を通して観客たちは、兵士たちがいかにして消耗していくのかを理解していくのである。こうしてロッカ伍長たちは、200キロ以上彼方にあるペトロ・ザヴォーツクへトボトボと歩みを進めていった。ロッカたちはつぶやいた「ペトロ・ザヴォーツクさえ陥落させれば、俺たちは動員解除になって家に帰れるぞ」と…。


��東カレリア地方における「にらみ合い」(1941年10月〜1944年6月)
 『水曜はどうでしょう?』の北欧編において大泉洋が、北欧の景色のせいで一時的に「おかしくなった」ことは、つとに有名である。ロッカたちは、大泉洋を「おかしく」した北欧の森をうんざりするほど歩いた後に、森の海の果てに四角い建物群と煙がなびく煙突を見つけた。ついにロッカ伍長の部隊は、ペトロ・ザヴォーツク(「ピョートル大帝の工場の街」の意)を、指呼の間に望む距離にまで近づいたのだ。1941年10月、とうとうフィンランド軍はペトロ・ザヴォーツクを陥落させた。
 なぜ小国のフィンランド軍が、200キロ以上の距離を突っ切る攻勢を成功させることができたのか?答えはシンプルだ。1941年夏から冬にかけてのソ連軍は、同時期に侵攻してきたドイツ軍の侵攻によって祖国存亡の危機にあり、フィンランド軍の「お相手」をしている余裕が無かったためである。当時のフィンランド軍がソ連軍に対して、歩兵で4:1、砲兵で9:1の数的優位にあったことも、当時のソ連軍の「余裕の無さ」を示している。かくしてロッカ伍長たちは、自分たちの目標を達成したのであった。フィンランド軍が市街に入ると、映画『フューリー』の米兵よろしく乱暴狼藉を始めた。これは、どこの国の兵士でも変わらないものらしい…。
 ひと心地ついた兵士たちは、かつてソ連兵たちが使っていた兵舎に住み、ペトロ・ザヴォーツクの家庭を訪問する。侵略された形となった住人たちは、つっけんどんな表情をフィンランド兵へと向けながらも、温かい紅茶を兵士たちへとすすめる。やがて雑談の話題が「ソ連とフィンランドのどちらが、先に戦争をしかけたのか?」という物騒なものへと移った。ここで気の良い若年兵のヒエタネンが「どちらが先にしかけたのかは、今となっては判りません。まぁ、この戦争で罪の無いのは、未だに誰も傷つけたことのない子どもたちだということは、確かでしょうね」と、述べた。これに対しては、返す言葉がなかった。
 ロッカ伍長たちは、居心地の良い秋のペトロ・ザヴォーツクでの暮らしを愉しんだが、冬になると、スヴィリ川付近にある居心地の悪い厳冬の塹壕暮らしを強いられた。フィンランドは東カレリアを取り戻したまでは良かったが、今度はこれを戦争が終わるまで確保しておかなければならなくなったためだ。ロッカ伍長たちの部隊は、スヴィリ川沿いの最前線に「張り付け」となり、件の「ペトロ・ザヴォーツクさえ陥落させれば、俺たちは動員解除になって家に帰れるぞ」とのつぶやきは、過去のものとなった…。かくして東カレリア戦線において、フィンランド軍とソ連軍との間で、2年以上にわたる「にらみ合い」が始まった。
 当時のソ連軍は1944年夏まで、国内に食い込んだドイツ軍を追い出すのに「大忙し」だったため、東カレリア戦線が大きく動くことはなかった。部隊の「コメディアン」役になっていた兵士のヴァンハラに至っては、敵兵士との「口喧嘩」を塹壕越しに愉しんでいた。しかし、それでも前線では、いぜんとして殺し合いは続いていた。ある日、若き新兵が部隊に補充されてきた。ロッカ伍長は自分の甥に仕事を教えるように、潜望鏡を使った歩哨任務のやり方を教える「外を見るときは潜望鏡を使うんだ。絶対に頭を出すんじゃないぞ。ここでの戦死者は、みんな頭を撃たれている」。まだ純真な新兵は次のように聞いてきた「どうすれば敵を殺せるんですか?ソ連兵も人間でしょう」これにたいしてロッカ伍長は、「人を殺すんじゃない。敵を殺すんだ」と、戦争の暗い本質を教え込む。次にロッカ伍長が新兵を見た時、彼は狙撃兵に頭を射抜かれて死んでいた…。おそらく彼は、若者につきものの好奇心に勝てなかったのだろう。ともあれ、これらのエピソードから、この戦争が情け容赦の無いものであったことが判る。
 東カレリア戦線において1年以上にわたって大きな動きが無かったことから、フィンランド軍は将兵に対して休暇を与えた。ロッカ伍長もソ連軍大尉を捕虜にした褒美として2週間の休暇が与えられた。子煩悩なロッカは、しばらく見ない間に成長した我が子と遊び、「もう、戦争に戻らないで」とせがまれた。また、若き士官のカルリオトは1944年の初夏に休暇をもらい、故郷で結婚式をあげた。このような描写を通じて観客たちは、各々の兵士たちが決して「無名の存在」などではないことを理解していく。ヴァイノ・リンナによる『無名兵士たち』とのタイトルは反語なのだ。


��ソ連軍によるカレリア地峡侵攻(1944年6月〜9月)
 結婚式を終えたカルリオトは、カレリア地峡(ロシア・フィンランド間にある地峡。今はロシア領である)へと移った部隊に戻っていく。そこで彼が目にしたのは「地獄の蓋が開いた」ような光景であった。ソ連軍が「本気を出して」攻勢に転じたのだ!1944年6月9日にソ連軍は、10,000門以上の大砲、1,500機以上の航空機、戦車800両、そして、450,000人の兵力(当時のフィンランドの人口は400万人に満たない)をカレリア地峡(サンクト・ペテルブルグとヴィボルグの間にある地峡)へとかき集め、フィンランドに対する一大攻勢を開始した。ソ連軍の目的は、フィンランドのソヴィエトへの併合である。

※「ヴィボルグ-ペトロザヴォーツク攻勢(1944年夏)」wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B0-%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B6%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AF%E6%94%BB%E5%8B%A2

 結婚式をあげたばかりの士官のカルリオトが戻った頃の前線では、兵士たちが数メートル進むだけで誰かが手足をもがれ、命を落とす地獄と化していた。カルリオトの同僚である士官のコスケラは「フィンランドは終りだ」と絶望する。経験豊富な彼は、おそらく砲撃の規模などから敵兵力の規模が判っていたのだろう。おまけに、今回のソ連軍の攻勢は夏季に展開されているため、「冬将軍というボーナス」も使えないことも判っていたのだ。コスケラは優秀な前線指揮官である。彼はは苦労と寝食を兵士たちと共にし、兵士たちが嫌がる任務(戦車への肉薄攻撃など)を率先垂範した。また、前線の実情を弁えない馬鹿な命令に対しては、通信兵に「しばらく、無線には応えるな」と命じて命令を受領しないことにより、できるだけ兵士たちの命を救おうとしていた。だが、そのような資質の故か、コスケラはソ連軍の攻勢発起から程無くして命を落とした。その後、カルリオトは突撃の真っ最中に、コスケラは戦車の撃破と引き換えに、それぞれ命を落とした。
 残された兵士たちは懸命に前線を保とうとしていたが、抵抗むなしく前線を突破される。後方で指揮していた大隊長(吉本新喜劇の島木譲二に似ている…)は、「ポコポコヘッド」をやる代わりに「前線に戻れ!死守しろ」と、無茶苦茶な命令を喚いた。おそらく件の大隊長は、国を守りたいから死守命令を出したのではない。自分の上官へ「自分の担当正面を突破されました」と報告したくなかったがために、兵士たちに死守命令を出したのだろう。…あたかも、「お前も、お前も、そして、お前も、俺のために死ね!」と喚くかのように…。しかし、因果応報の理は洋の東西を問わないらしい。「お前ら、死んで来い!」とばかりに督戦し、無能、怯懦、虚偽、杜撰を纏めて体現したような件の大隊長は、敵弾を受けて身動きがとれなくなった。そこへソ連軍の戦車がやって来て、彼をひき潰した。まったく、…誰が仕組んだ地獄やら。
 人命を蕩尽した故に、1944年の夏はフィンランドにとっての「流血の夏」と化した。いくらフィンランド兵たちが捨て身で戦っても、ソ連軍はカレリア地峡を押し通っていく。かような戦場において、とうとうロッカ伍長にも「年貢のおさめ時」がやってくる…。これより細かい作品のディテール、および、ロッカ伍長の行く末に関しては作品に譲ることにしよう。
 その後のフィンランド軍は同年7月3日、地形が狭まるタリ=イハンタラ間において、なけなしの砲弾を浴びせる乾坤一擲の反撃をソ連軍に加えた。これが功を奏したことにより、なんとかフィンランド軍は防衛に成功した。同年9月19日にモスクワ休戦協定をとりむすび、ソ連との休戦に持ち込んだ。結局、フィンランドの失地回復は叶わず、国境は冬戦争の後のままだった。なお、1944年秋のモスクワ休戦協定以降、フィンランドは他所の国と干戈を交えることなく現在に至る。


おわりに
 では、「失った領土を、戦争で取り戻そうとするとどうなるのか?」という冒頭の問いにもどろう。答えは、「兵士となった若者や中年が、とんでもない量の艱難辛苦を味わう。そして、自国領が戻るかどうかも、定かではない」というものだ。兵士たちが味わうことになる艱難辛苦の中身については今日の日記にて述べたが、できれば本作をご覧いただきたい。ことあるごとに「戦争で解決しよう」と宣う丸山議員のような方々には、特にご覧いただきたいものだ。
 なお、ヴァイノ・リンナが提示した「いち兵士からみた戦争」という視覚/パースペクティブは、その後のフィンランドにおける戦争の描き方に大きな影響を齎した。というのも、1989年に封切られた映画『冬戦争/ウィンター・ウォー』のベースとなったのは、従軍した兵士の手記であったからだ。おそらく映画『冬戦争』は、「庶民の目線から見た戦争」という意味において小説『無名兵士たち』の続編なのかもしれない。 
 ともあれ、日本に住む我々としても、将軍や為政者の目線で、地図を通して戦争を眺めるのではなく!「庶民の目線」で戦争を捉えなおすべき時期に差し掛かっているのではないだろうか?我ら「庶民の目線」が、「将軍や為政者の目線」にすり替えられ、内面化させられる時というのは、我々が「だまされて」動員される時なのだから…。



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