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2019年09月02日04:01

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9月2日

戦艦ミズーリ上で、連合国マッカーサー元帥と日本政府重光外相が降伏文書に調印。朝鮮の日本軍に38度線を境に米ソ両軍に降伏指令。南北分断の始り:昭和20年のこの日。東京湾横須賀沖に停泊していたアメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で降伏文書の調印式が行われた。日本側は、外務大臣重光葵、大日本帝国陸軍参謀総長梅津美治郎が降伏文書に署名した。伝統的な戦時国際法において休戦協定の合意は口頭による同意によれば良く文書の手交を要件としない。このため休戦が協定された日と休戦協定が外交文書(降伏文書)として固定された日は異なり、実際に各地の戦線で休戦が合意された日もまた異なる。そのため現実に戦闘が停止された日付(あるいは現地日本軍が降伏した日、あるいは降伏式を執り行った日付)には前後があり、また日本国政府が停戦を通告した日(最初のものは短波ラジオを通じた8月10日)、連合国の各司令部により停戦の事実が確認された日などにも前後関係がある今日、「終戦の日」とは、昭和天皇が「玉音放送」によって、大日本帝国政府がポツダム宣言の受諾(=日本軍の降伏表明)を連合国側に通告したことを、国民に放送を通じて公表した昭和20年8月15日とするのが一般的である。一方、大日本帝国政府がポツダム宣言の受諾を連合国側に通告したのは、前日の8月14日であり、玉音放送によって読み上げられた「終戦の詔書」の日付もその日となっている。大日本帝国政府及び連合国代表が降伏文書に調印した日は、昭和20年9月2日であり、諸外国ではこの日を「対日戦勝記念日」としている例が多いが、中華民国や中華人民共和国、旧ソビエト連邦のように9月3日とする国もある。なお国際条約として日本国が交戦国と正式に平和条約などを締約し戦争状態が終了した日は日本国との平和条約が発効した昭和27年4月28日、日本国と中華民国との間の平和条約が発効した昭和27年8月5日、日ソ共同宣言が発効した昭和31年12月12日である(但し日ソ共同宣言は戦争状態の終了を確認した条約である)。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、9月2日、USSミズーリ艦上でリチャード・サザランド中将が見守る中、降伏文書に署名する重光葵外務大臣、右随行の加瀬俊一。
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