mixiユーザー(id:545566)

2019年08月20日06:37

219 view

日本国憲法第15条=大日本帝国憲法第3条〜主権者無答責〜N国党、NHK昭和天皇「拝謁記」

「N国党に投票した連中はどう思ってるんだ?」みたいな意見があるが、
「どうも思っていない」と思う(笑)。思う義理もない。

「崎陽軒を攻めたのは早すぎた」 N国・立花孝志氏が「5時に夢中!」スタジオ前で謝罪、マツコ・デラックスへの攻撃も控える
(BIGLOBEニュース - 08月19日 18:46)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=258&from=diary&id=5753715

N国党に投票しようが、有権者に、反省する責任はない。責任なんか取らない。
それは、憲法で保障されている特権なのだ。

----------
日本国憲法第15条
(前略)
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
----------

昔も同じである。

----------
大日本帝国憲法第3条
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
----------

戦後憲法も、戦前憲法も、「公的にも私的にも責任を問はれない」「侵スヘカラス」。つまり主権者は無答責なのである。

この条文に権力という魔性「無制限にして無責任」という恐ろしさが表現されている。
戦前も戦後も、国家は国家である。権力は権力である。基本に変わりはない。

NHKと戦前、というわけで、これだ。

昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1

さすがは英明なる聖上。お判りである。
日本滅亡の第1歩は、昭和3年なのだ。ここが日本の分水嶺だった。

----------
昭和3年「張作霖爆殺事件」
昭和天皇は、事件をあいまいに処理しようとした当時の田中義一総理大臣を叱責しましたが、首謀者が停職になっただけで事件の真相は明らかにされませんでした。3年後、関東軍は独断で満州事変を引き起こし、政府もそれを追認しました。
「拝謁記」の中で、昭和天皇は軍が勝手に動く様を「下剋上」と表現して繰り返し批判したと記載され、昭和27年5月30日の拝謁では「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ。田中内閣の時ニ張作霖爆死を厳罰ニすればよかつたのだ。あの時ハ軍でも大して反対せず断じてやればきいたらうと思ふ」と後悔の言葉を述べたと記されています。
また、昭和26年6月8日の拝謁では「張作霖事件の処罰を曖昧ニした事が後年陸軍の綱紀のゆるむ始めニなつた。張作霖事件のさばき方が不徹底であつた事が今日(こんにち)の敗戦ニ至る禍根の抑々(そもそも)の発端」などと繰り返し事件に触れて当時の対応を悔やんでいて、田島長官は「御信念より相当繰り返し御主張ニなる」と記していました。
----------

ここで、昭和3年に「御聖断」を下していれば、
大元帥として、帝国陸海軍を綱紀粛正していれば、
その後のヒロシマもなく、ナガサキもなく、
昭和20年の「御聖断」なんて必要なかったのだ。

戦争がなければ、「戦後」もない。
昭和3年がなければ、2019年の韓国も北朝鮮もなかった。
令和元年をにぎわす、慰安婦&徴用工などなど日韓関係だって、昭和3年の「無責任」「無作為」「傍観」がスタートなのだ。

臣民末裔にして異邦の土人たる私も、聖上の御英慮に、我が意を得たりである。

もしも #昭和天皇 が石原莞爾を軍法会議で処刑していたら?〜ガダルカナルも牟田口廉也インパール作戦も無かった。  
http://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2017/05/23/013405 


11 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年08月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031