8月19日
評価基準
もう一度、一覧表に戻ろう。人の過ちはさておいて、私たちは自分自身の誤りだけを断固として厳しく見つめた。自分がどこで利己的で、不正直で、身勝手だったのか。何を恐れていたのか。
アルコホーリクス・アノニマス 98ページ
職場の同僚や愛する人達から、常に認められたいと思う必要がもうなくなり、素晴らしい解放感がある。このステップをもっと前から知っていたらどんなに良かったかと思う。なぜなら、自分の評価基準を高めることができたからこそ、どういう場面においても、自分の行動が状況にかなったものであり、その行動が間違ってはいないことを、きちんと確認しながら、正しいことが自分で決められるようになったからだ。
--------------------------------------------------------
「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
--------------------------------------------------------
8月19日
“信仰を持っている人々は、生きるということに対して、ある論理的な考えを持っていると言える。もちろんこの自分よりも偉大な力への近づき方と受け止め方はそれぞれユニークなものであり、まことに幅広いものである。この近づき方と受け止め方において、私たちが同意するのか否かは、余り問題ではないように思われる。大切なことは、各人が自分自身のものを持つことである。ハイヤーパワーへの信頼は、各人ユニークなものであっても、それぞれ人間的には不可能と思われる奇跡をもたらす。信じる人には、その生き方と考え方にある革命的な変化が訪れるのである。”
私の中には、その革命的な変化が起こったか?
黙想
神を敬うことは、神の神聖なる尊厳を意識することである。礼拝のために身を低くするとき、神は私の人間性を神の神聖性に近づけるよう助けて下さる。この地上は神の神聖性を包む物質の宮殿のようなものである。神はご自分を敬う人々に神聖なる力と神聖なる愛、そして神聖なる癒しを与えて下さる。私がしなければならないことは、神に向かって心を開き、この神聖なるスピリット(霊)に自分を委ねようとすることだけである。心からの礼拝に静かに身を屈め、私のうちに向かう思いを神に向けよう。神の神聖なる力が私に及び、その偉大な愛と癒しが与えられていることを感じたい。
祈り
永遠なるあなたのスピリットを感じながら、あなたを礼拝させて下さい。私の生命の中に新しい力を感じさせて下さい。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ 改めて、「事実をありのままに」の大切さを感じます。どこかをごまかすことなく、きちんと事実に向き合って、そしてその事実に対して自分が犯した過ちを正直に認めること、それがここでまた問われているのだろうと感じます。この少し前に用心するものは、「ダブル・スタンダード」なるものでしょう。誰かに適用する価値基準と、そのほかの人に対して適用する価値基準とが別々のものとならないように、それだけは最低限でしょう。
そしてここで問題にするのは自分の他人を傷つけた行為だけです。あいつからはこんなに傷つけられた、という思いからはできるだけ解放されるようにしていたほうがいいのです。とは言っても、その思いからどうしても解放されなくて、傷つけた相手に埋め合わせをしようなどという気持ちになれない場合もありますが。でも、そういうときに私たちが持っている大切なものがあるではないですか。それは、祈りです。「私をこの気持ちから解放してください」と祈ることだけで、いいのです。結果はお任せなんですから。
/\○/\○/\○/\○/\○/\○/\○/\
山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
ログインしてコメントを確認・投稿する