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2019年08月14日21:39

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シュレーディンガーなあの世

Qさんが実に面白い回答をしてくれた。死んだあとはどうなってるのか?という問いに「半分生きて半分死んでるシュレーディンガーの猫のようなものではないだろうか・」と。
これは素晴らしい回答だ。死後の世界を量子力学で説明することもできるらしいが私にはわからん。ただ、観測者の視点で生きてたり死んでたり というのはこんな感じかな?と想像してみる。

まず、生命とは電気と化学作用で動く生体の活動エネルギー、オン生・オフ死という生命活動そのもの。と考える。
次に魂というのは意識であり命にそれまでの情報が(情報というデジタルっぽい言葉は使いたくないが)が重なったものとする。と肉体の感覚器を通じて外界の情報をとりそれに経験が重なって情報となっていく。魂の根源はこの生きていた時の情報の集合体だ。そして情報には最大級に重要なものからどうでもいい情報までさまざまある。例えば私にとって一番重要なのは「ただけいいち」」という音だろう。自分の個とその他のものを区別けて成り立つ私自身の中心だ。
でもタコやチンパンジーやイルカには名前がないからもっと違う重大な情報がもってるかもしれないし、そもそも個という観念もないかもしれない。ペットの犬などは名前があるからより個としての意識=自己意識=必要情報は凝縮されているだろう。
この考えは群体生物のカツオノエボシの個虫やヒトデのように分割しても生きてる生物にも通用する。

生きているときの意識は死ぬと魂という呼び方に変わるわけだ。違いは前者は肉体という感覚器官に閉じ込められその制限での感覚しかなかったが、後者は感覚器官がないから外界がわからないことにある。すなわち時間の観念がない、そして記憶情報は末端から昇華していき最後は自分の名前すら忘れていく、
ただけいいち という名前を思い出すとしてもそれが1秒で思い出すのか1万年かかるか関係ないしわからない。そして当の本人は1秒も千年も関係ない世界にいるわけだ。
観測者から見れば生きてるか死んでるかわからない、


痴ほう老人を見てみる。彼彼女らは大切なはずの自分の子供すらわからない。あれは生きたまま記憶が昇華していってるといえばわかるだろう。肉体があるから食事や排せつ、繰り返し行動、徘徊などで周囲が大変な思いになるのだが、肉体がなければまさに自己記憶を失いつつある魂そのものだし本人は時の感覚もない。

私は今まで死後の世界は無いと考えてきた、死ねば無だから意識もない、意識なければ苦も楽もない。なんと楽な世界だろう。でも時折自分の意識が脳天からスポン!と抜け出てほしいと感じる。一般にいう幽体離脱だ。経験したことないけどね。もし、これが事実であれば死後の世界は意識があるものとなる。ここに矛盾が出てくる。だけど、自己情報がが昇華していくと考えると死後の世界がありえるのかなと。死後の世界は時間がないし重力にも影響を受けないだろうから
ひとぅ飛びでブラックホールの中やアンドロメダのかなた、原子分子の世界まで行けるはずだ。
光の制限もないだろうから時間も空間も成り立たなくなってくる。で、目もないけどそういうのを感じられたらすごい、ここでいう感じるというのは知覚するというkとかな。
というわけで生きてるのか死んでるのかその時の意識の状況によるってわけ。

どうかな?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
も一つ考えたこと。自殺だけど これは人間にしかできない高度な行動だ。つまり知恵がないと自殺など考えもつかない・・そう。人類は知恵の実食ったから最終的に自殺ができるようになった。
つまりやね、サタン蛇は人間が自殺できるようそこまで見越して知恵の実をくわせた。もともと知恵の実は一発で死んでしまうほど致死性の強い猛毒なんだけどさらにとどめを刺したわけ
当然天使もルシファも神々たちも知恵の実食ってるし生命の木の実も食ってる。サタン蛇が人類に知恵の実だけ食わせて生命の木の実を食わせなかったのは完成品にはさせたくなかったから。神々達とルシファの間にどんなごたごたがあったかしれんけど、知恵の実ってのは大して知恵がつくわけでもない、その証拠に神々達はルシファの気持ちもくみ取ることができず、事件が起きることさえ予想できなかった。うまそうな実実らせて赤子に「食うな。」はないよね
終わった後で「 危険。立ち入り禁止」のケルビムと炎の剣の警告看板をだした。でもアダムとイブはもういない

 じゃあ 誰のため?
ハイ。そうなんです、第二人類のため。我々霊長類人間は失敗作だったから時間は腐るほどある(とってもこの世界一週間でのにわか作業で完成だけど)まともな考えだったら失敗から物を学ぶ
神様だって失敗したわけででも知恵の実食ってるからね。この失敗教訓にして「もっといい人間作る」はずだ。聖書はあくまでも我々出来損ない人類の歴史限定での出版。続編はあるんだけど
君たち人類には関係ないからね。と。
知恵の実食って善悪がうまれれば最後は善と悪の、あるは善と善の板挟みになって生きるか死ぬかって悩みにつながる。ちんちんをイチジクの葉でかくしたのは悩みの解決方法の一つだからね。

あ。。自殺に話が戻って。旧約聖書にはアベル殺人事件は出てるけど自殺ってのはあまり重要視されてない。ユダが首吊ってサムソンが敵を巻き添えにして、あと誰だか王が戦で負けて剣の上に飛び降りてとかだ。サラリとながされてる。
キリスト教は自殺厳禁だから初めての自殺ってのは大ニュースになりそうなんだけどね・・
わたしにいわせりゃ兄弟げんかで致死事件なんてチンパンジー以前にサメでも恐竜でもやってるわな。でも自殺ってのはタコやイルカでさえしてないぞ。。だから知恵の実食った人間限定の行為なんだよ。

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