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2019年08月11日16:21

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「経験者」として・・・

■「不登校は不幸じゃない」から1年、参加者の今 順風満帆じゃないけれど……「ちょっとずつ戻ってきた」
(ウィズニュース - 08月11日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5744222 

「不登校」ではなく「登校拒否」という言葉が用いられていた頃、私は学校に行ってなかった。

きっかけは、小4時にの担任が今ならば「体罰」として「刑事沙汰」になるぐらいに決して悪い方ではなけれど、厳しい「体育会系人間」だった。

小4時に「必ず、部活に入るように」と義務づけてきた。田舎であったがゆえに、部活の「選択肢」は限りがあった。文化系部活は音楽系しかなく、あとは全てが、バスケットボール部、か水泳部とスキー部しかなかった。

音楽が全くできない私は、主に仲を良くしていた友人3人が音楽系部活を選んだが、水泳部とスキー部の顧問がこの「体育会系人間の担任」が「顧問」となっていた、水泳部とスキー部はさけた。

しかし、私は運動神経が鈍く、顧問からは「周りは皆、ウサギだけど、おまえはカメだ」とまるで「大映ドラマの堀ちえみ」のようなセリフを言われた(苦笑)

部活に行くことを苦痛に感じた私が図書館へ行き、本を読んでいれば同じ部活仲間や「毒母」からは「また、部活サボるの?」「あんた、幽霊部員だよ!!」と責められた。そして、部活に出れば「動くのが遅い!!ムカつく!!」と言われたり、ミスをすれば笑われていた。

「バスケットボール部」には「私の居場所」はなかった。図書館で本を読んでいることの方がずっと楽しかった。

そして、小5になり「人生史上最悪の担任」の登場により、取り巻く環境がより、厳しくなった。同級生達は皆、レギュラーとなっていた。私は後輩にも追い抜かれて、レギュラーとはなれなかった。
同じ部活の子達以外の同級生達からも、様々なことで、バカにされた。

小6時の担任が「理解力のある方」で「部活しばり」からは、解放されたものの、小学生の高学年の頃には、漫画やアニメ、ゲームに夢中になり、宿題を含めた「勉強とは皆無」に等しかった。ただ、文系特に小学生時代は社会科、特に日本史は得意で社会だけは、クラスで1番だった。

元々、先天的に鼻に大きな黒いアザがあったこともあり「イジメ対象」となりやすかった。

そして、中学ではイジメがエスカレートし、ゴールデンウィーク明けに母方の祖父が亡くなり、学校を少し休むことになり、それ以来、よく学校を休み、夏休み前には「完全な登校拒否」となっていた。

でも、仲の良い友達とは遊んでいたし、夏休みや冬休みの美術部の「部活」には休まずに出ていたし、一緒にコンサートへ行ったし、修学旅行では原宿でB,zの稲葉さんの生写真を買ったりしていたので「登校拒否もどき」だったのかも(苦笑)

ただ、高校受験を控えた時期には国語と社会以外の科目の成績は決して良くはなかった。

学年副主任には「高校は、おまえのような、バカが行くところではない。行かれた先の先生がかわいそうだ」私が、数学の「補修」に出れば、ため息をつきながら「あなたには、何から教えていいのかがわからない」と言われた。それ以来、自分でため息をつく度にこの時の「学年副主任の表情」が思い浮かび、ため息をすることさえ、今でも「苦痛」となっている。

話がかなりずれてしまったけれど・・・

「登校拒否もどき」の私ですら「四大の法学部卒」(三流大の二部だけれど)で「社会福祉士」の国家試験にも合格することができた。

「子どもの居場所は学校だけが全てではない」と言いたい。
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