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2019年08月08日23:36

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「あした天気になあれ」

「今日8月8日」
ソ連対日宣戦布告。
突如とよく言われ方がされるがそうでもなかろう! 

この前提には
ポツダム宣言がある。
昭和20年7月26日
アメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において
日本に対して発せられた、
全13か条から成る日本への降伏要求の最終宣言である。
この時
ソ連は日本との不可侵条約を理由に署名はしなかった。 

トルーマン
「ソレンちゃん!今やったら簡単に領土拡大できるんちゃうかなあ?」
チャーチル
「わしもそう思うわ」
トルーマン
「今のうちに兵を動かしておきなはれ」
チャーチル
「わしもそう思うわ」
蒋介石
「大丈夫かなあ…」
チャーチル、トルーマン
(+・`ω・´)
蒋介石
「そっそっ!いましかないでえ!」
スターリン
「わしはおまえらのいうことはきかへんで!」
…しかし内心では 
『早いこと手打っとかな みな 持って行かれるなあ』

実際は日本に攻めるように要請をしているが
チャーチルは先に帰ってしまうし、
蒋介石は出席しておらず声明のみ、
だいたいは
アメリカがほぼ考えたことである。

ソビエトは声明後の翌日
8月9日には攻撃開始
150万人の兵が満州になだれ込むわけで
一日では無理に決まってます。
つまり用意周到ですね! 
攻めてもOKのハンコを押してもらったわけだから 
滅茶苦茶なわけで
領土が出来たら労働者が…
捕虜を強制労働 捕虜200万人 うち6万人死亡。
兵士だけじゃなくて
暮らしていて捕まった人も捕虜! 

まあ この話はまた次の機会にでも… 

陛下のお言葉が15日に
玉音放送として日本は敗戦を向かえるが

9月2日
東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で
日本政府全権の重光葵と大本営全権の梅津美治郎および連合各国代表が、
宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書に調印した。

つまり
日本での終戦は8月15日だが
世界では 
この戦争が終わったのは9月なのである。

1945年8月8日
広島に原爆が投下されてから二日後 

長崎

この町で暮らす人々は 普通に暮らしていた。
結婚式を挙げた新郎新婦、
刑務所に収監された夫に接見する妻、
難産の末に子供を産む妊婦…など。
愛し傷つき勇気を奮い起こし、
悲喜こもごも生きる人々。
こればかりは
こればかりは平等にやってくるのである。
「明日」
長崎の人びとは迫りくる死の影も知らず
突然に襲う運命の「明日」が…

※井上光晴 『明日―1945年8月8日・長崎』
※『TOMORROW 明日』1988年8月13日公開の日本映画、原作は井上光晴。

暑くても 
暑くても いいから
「あした天気になあれ」 
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