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2019年08月07日20:56

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7日 さとちゃんちのコメントまとめ

7日 さとちゃんちのコメントまとめ

湯屋谷の癒し道
I.Fujikawa
私は不勉強なので
知らないことばかりです
いくら勉強してもすぐ忘れる
理解も出来ていない
自分にあきれるばかりです
例えば森の緑 樹々の葉の緑
なぜに緑なのかと
なぜに緑なのか
緑に見えるのか
それは科学的に説明されるでしょうが
ではなぜ緑なのか
その疑問を調べたことがありますが
もう何も覚えていません
その時自分の疑問への結論を得たのかも忘れている
いままたさとちゃんの画像を見て思うのです
なぜに樹々の葉は緑なのかと
緑だから緑なんだと
もう思えばいいのでしょうが
また調べる気力がない
年なんですね
樹々の葉の緑
もちろん緑一色ではないのですが
実に自然はよくできている
絶妙な色具合 美しい形状
すべてに感じることなのです
自然の創造主は誰でしょう
自然自体だと考えれば
自然は素晴らしい仕事をしていると思うのです
生き物にしてもそうです
命あるものすべてに意味がある
存在理由がある
一人人間の手でその微妙なバランスが
こわされようとしているのかもしれない

ヤマモモのおばあちゃんの畑
コメント
I.Fujikawa
二枚目画像が蔦の紅葉とはわかりませんでした
なんだろうと思ったのですが
よくよく見ると蔦だと分かりました
そしてさとちゃん記述で確認できたのでした
はじめはフラワーデザインかなと思ったくらい
自然は時としてそれ自体が芸術であると思わされることが多い
蔦と分かってもその印象は変わりません
その色の変化や枯れた葉ですらも
何かを主張しているようです
あるがままで美しい

湯屋谷の秋
コメント
I.Fujikawa
一枚目の写真は前に見たことがあると思っていましたが
記事を読むと「そのままでした」ということですので
そのようですね
際どいところで持ちこたえていますが
また雨が降ればどうなるか
こうなったらなるに任せるしかないのでしょうね
おばあちゃんの腰の曲がりを見て思い出しますが
今はベッドに寝たきりの姉さんも腰が曲がっていました
前の入院から戻ってきたとき
その腰は伸びていましたから不思議ですね
ベッドで寝ている間に元に戻ったようです
でも股関節には人工関節
もう歩けなくなりましたけど
入院は人を病気にするというのが私の持論
姉さんの場合は例外で腰をのばしてくれました
しかしリハビリで当初は伝い歩きができたのですが
いつしか立つのがやっとという状態に
腰が曲がっていても歩ける方がよかったのかも
そう思うことがあります

土塀の白椿
I.Fujikawa
一山二山越えて同級生の家に遊びに来たことがあります

私は高校生の同級生を訪ねて
「一山二山越えて」行ったことがあります
遊びではなかったのですが
自転車で行きました
その頃はどこに行くのも自転車
今思えばよく出かけたものです
その同級生とは一つ思い出があります
高校1年生の時
夏休みに有志を募って
山奥の小学校を借りてキャンプに行きました
20人ぐらい参加したでしょうか
その中心的仲間でした
学校へは遠いことからバイク通学していました
こんな遠くから通ってたのかと思ったものです
そのキャンプは高校時代の一番の思い出です
またその中まで「高校生」という小冊子を出していました
それも思い出の一つ
1年生だからできたのかもしれません
2年生になると進学組就職組に分かれます
私は進学は考えていませんでしたから就職組
ほとんど女性で男性は数人
1年生時代の仲間とは離れ離れになりました
さとちゃんは中学生時代にマドンナがいたようですね
そこを後々訪ねたということですが
土塀の白椿が何とも言えない風情で
マドンナを思わせます
昔の思い出は消えることなく
心の奥に残って時々は
その思い出に胸騒ぎしたり
私のマドンナは高校生時代の女先生
物静かな方で時事問題研究会という同好会の
顧問のお一人でした
家出してからどのくらいたったのか
新聞記事である地方の市長選挙に
立候補されたことをしりました
それからまたどのくらいたったか
訃報を耳にしました
過ぎ去った年月の長さを感じました

小峯寺
I.Fujikawa
めずらしい鎌倉時代の石塔

素朴な石塔で
時代を感じます
緑多いたたずまいも
目を外に転じれば
新興住宅地が広がっているとか
別世界の感がします
それだけに貴重な場所ですね

藁が秋空に舞う
コメント
I.Fujikawa
一枚目の画像だけ見ると
「藁が秋空に舞う 」というタイトルの意味は?
って思ってたら二枚目の画像で答えが出てた
子どもの頃田舎に住んでいたんだけど
この機械は見たことないなあ
ただ牛を飼っている友達の家があったので
押し切りというわらを切る機械は知ってる
その家は庭が広くて
秋になると旅回りの芝居の一座が公演してた
映画の上映もしてた
まだそんな時代だった
藁飛ばし機といっても素朴なもので
その頃を思い出します

観想詩11/8
I.Fujikawa
7日の書き始め
いつもより遅くなりました
色々あってね
さて次の言葉をいただきました
★山を征服しても、たちまち、下山せねばなりません。

危険な思いをしてなぜ山に登るか
そこに山があるから
そんな話を子供の頃に聞きましたね
このことを深く考えたこともないし
これからも考える気はないけど
さとちゃんが書くように
征服したらそれで終わりではなく
下山しなくてはならない
実は危険なのは下山の時だと言いますね
私が考えたいのは
人間の欲望ということ
山を征服するというのも一つの欲望でしょう
その山を征服したらさらに高い山へと
欲望は続きます
日本を征服したら世界に
名だたる山をすべて征服したとして
その人の欲望はさらなる目標を見つけるでしょう
欲望はキリがないからです
政治的に経済的に社会的に
どんなに成功したとして
どんなに名声を得たとして
どんなに裕福になったとして
その欲望には限りがない
だから悩みも尽きない
庶民はあきらめることを知っているから
欲望を自制できる
成功し人の上に立つ者は
その欲望に自制が効かなくなる
人間の複雑さの要因に性的問題がある
性欲もまたキリがない
欲望を自制コントロールできればいいが
欲望の裏には欲求不満が付きまとう
これがまたやっかいなものだ
欲求不満がすべての問題の根源にあると
私は思っている
人間を犯罪にも駆り立てるもの
そこにも欲求不満があると
自分の欲求不満と向き合うことができるか
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