今年もこの日が来ました。『平和と安全を求める被爆者たちの会』(
https://www.realpas.com/)からの『もうひとつの平和宣言』をここに載せておきます。長文ご容赦下さい。
令和元年 『私たちの平和宣言』令和元年8月6日 広島
広島は、あの非道な原爆投下から74年目の朝を迎えました。
目を開けば、美しく広がる街並が見えます。しかし、目を閉じれば今もあの時の凄惨な情景が生々しく蘇ります。この二つの風景の甚しい落差は、私達の父母兄弟たちが復興に注いだ、偉大な努力の証です。
街まちや生活の再建に傾かたむけた想像を絶する労苦を思う時、私達の心は大きな感動と深い感謝の気持に満たされます。そして、無辜(むこ)の犠牲者たちの無念の嵐が、ひしひしと胸に迫ってきます。
私達は復興を成し遂げられた皆様に対して、心からの感謝の誠を捧げ、偉大な努力を受け継ぎ、非命に斃(たおれ)た方々の魂の安寧を祈り続けることを約束します。
昭和20年3月、日本家屋が効率的に炎上するように開発された焼夷弾による東京大空襲では、10万人の犠牲者が生きながら焼かれ、あるいは空気が無くなり窒息しました。
米国に集まった科学者達は核分裂を爆弾に変える技術を開発し、最初の原爆を広島に投下しました。さらに3日後には、第二の原爆が長崎を破壊しました。
太陽も欺く閃光と、建物もなぎ倒す爆風は、人間を無差別に飲み込み、地獄の風景を出現させました。影だけが壁に焼き付けられて体が蒸発した人、骨まで曝(さら)け出された人、顔も形も留めぬ黒焦げの遺体…。
無残にも人間の姿を失くした夥(おびただ)しい屍は、廃墟の一部と化しました。そして、生き延びた人々にも、さらなる地獄の苦しみが襲いました。その時は無傷に見えても、数日のうちに皮膚が腫れあがり、ほどなく死んでいった人達もありました。人々は、懸命の救助活動の中で、瀕死の重傷を乗り越える困難と、襲いくる緩慢な死への恐怖に直面し、それらの経験を私達に伝えてきました。
全国各都市の爆撃でも、様々な形で生きるための闘いと復興への努力が繰り広げられてきたことでしょう。
今、私達があるのは、皆様が恐怖を克服して注がれた血と汗と涙の賜物です。その力を、私達は次の世代に伝える努力を続けます。
歴史に特筆されるこの過酷な体験と、再建への闘いは正確に記録されなければなりません。それには、原爆攻撃を筆頭に、都市を襲った焼夷弾攻撃が何だったのかという認識が必要です。
つまり、一般民間人を無差別に大量に殺害する兵器による攻撃は、
もはや「戦争」ではなく「虐殺」である、ということです。当時も現在も、国際法では、戦争を「戦闘員」の資格を持つ者だけに制限しています。
歴代の米国政府は、「100万人の連合軍将兵の生命を助けるために原爆が必要だった」と弁明していますが、これは「虐殺の正当化」に過ぎません。
核兵器は一発でも、瞬時に広範な破壊と大量の虐殺を行う恐怖の道具です。しかし、核兵器が消滅したとしても、それだけで戦争は無くなりません。
最初の原爆投下のずっと以前から、世界には多くの戦争がありました。このことは、「反核」が決して「平和」を意味しないことを示しています。
無差別殺害のための核兵器の使用は広島と長崎の後にはありませんが、今の核兵器は強大になり、技術は高度化し、種類は増え、その数も、保有する国家も増大しています。
核兵器国ロシアとの闘いにおいて、ウクライナは核兵器を放棄した後に重要な領土を奪われました。かつて旧ソ連の一員で核兵器を持たないジョージアは、国土の半分がロシアに支配されています。
南アジアでは、敵対する二つの国(インドとパキスタン)が核兵器を保有した後、紛争は抑制的になりました。一方、東アジアや東南アジアでは、核兵器国中国が縦横無尽に核無き国を侵食席巻しつつあります。我が国の領土の一部も風前の灯です。
ロシアは原子力で飛ぶ無限の射程距離を持つ超音速ミサイルを実用化しました。INF条約の制限を受けない中国は、最新技術を使った中距離核ミサイルを増強させています。北朝鮮は核兵器の完成によって交渉力を得たからこそ米朝会談に臨んだのです。
広島の原爆から74年間、私達は「核と人類は共存できない」というスローガンとは裏腹に、格段に高度化された核兵器の世界に生きています。
オバマ前大統領は、核兵器廃絶を目標に置きましたが、同時に、「我々が生きている間には実現しない」と指摘しました。それが世界の実情なのです。
それならば、当面の平和をどうやって維持するのか、私達の安全と生存をどのように担保するのか、世界各地で進行する紛争が、核戦争にならないためにはどうすれば良いのか、私達は懸命に知恵を絞しぼって行動することが求められます。
このような現在の世界の現状をつぶさに見れば、現行憲法の規定は独善的であり、阻害要因に満ちています。速やかに国際社会の常識に叶う方向に改正することが絶対に必要です。
一昨年は122ヶ国が賛成した「核兵器禁止条約の採択」が持て囃されました。我が国では、一挙に核無き世界が実現するかのごとき期待感までありました。しかし、この条約は現行の国際条約と対立的で、日本の安全保障の枠組みを破壊する欠陥を含んでいます。よって私達はこの条約加盟に反対です。
今や、条約に賛成した国の態度も変わりました。サウジとエジプトは、イランとの関係で核武装意思を表明し、イランは保有する核設備で核兵器準備を始めました。
2019年4月現在、この条約が発効するために必要な50ヶ国の批准にはほど遠く、批准した国の数はその半数程度にしか過ぎません。また、仮に発効したとしても「核無き世界」は全く期待出来ません。
それにも関わらず、条約への幻想と「核廃絶」スローガンとが結合して、我が国には安全保障を度外視する雰囲気が漂よいます。憲法を盾とする平和主義は、現憲法を狭量に解釈して、安全保障方策が現実に機能することを阻害しています。
安全保障の土台無くして平和はあり得ません。私達は、他国の支配を排除して、迫る危険から私達の安全を守るのは私達自身であることを自覚します。正当な安全保障手段を持ち、今の平和をさらに堅固にして子孫達に渡すことが、被爆者に繋つながる私達の願いであり、責務です。
過ちは二度と繰り返させません。
■平和宣言「被爆者の思い受け止めて」=核禁止条約で要請−74回目、広島原爆の日
(時事通信社 - 08月06日 09:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5737265
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