「愛は恥ずかしいものではない。愛こそすべてです」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20185 (写真入り記事)
私たち日本人は、「あなたを愛しています」という言葉は恥ずかしくてなかなか使えない言葉です。
一つの要因は、仏教の影響がありそうです。
友人で、元僧侶、今牧師をしている人がいます。
愛について語り合った時、「仏教では愛は悪いものと考えるんですよ」と聞きました。
仏教における「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」であり、欲望や煩悩の一つです。
愛を否定し、代わりに「慈悲」を大切にのだそうです。
聖書やキリスト教が使う「愛」は、日本語で同じ言葉でも、意味や内容が違います。
「愛」は執着心ではなく、自分を捨てて、相手が必要としているものを無条件で一方的に与える心と行為を指します。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書 15章13節)
イエス・キリストが十字架の上で愛を示して下さいました。
その上でイエス様は、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と語られました。
愛とは、執着心ではなく、友のために命を捨てることです。
その愛をキリストから受け取り、味わい、今度は、その愛で人を愛して行くなら、この国は変わります。
人はそんな愛を求めています。
私が仮に、有能な牧師で、名説教家で、多くの人を導いているとします。
あるいは、有能なリーダーで、素晴らしいリーダーシップを発揮し、民衆の支持を得ているとします。
しかし人は、有能で立派な人より、自分に耳を傾け、愛してくれる人を求めています。カリスマ性より、自分に寄り添い、理解し、共に歩んでくれる人を望みます。
私の妻は、私が成功することを喜んでくれますが、しかし、自分を愛し、大切にしてくれることを望んでいると思います。
どんなにお金があっても、権力があっても、私が妻を愛さなかったとしたら妻はうれしくないはずです。
しかし、平凡で、足りないところがたくさんありますが、妻を愛し、大切にする夫であったら妻は嬉しいと思います。
人を愛することは難しいですが、神の愛を受けて、その愛を味わった人なら、愛することができます。
私が神を愛し、妻を愛し、人を愛しているなら、愛された相手も幸せになるかも知れませんが、何より、愛している私本人が幸せなのです。
心から人を愛する人でありたいと思います。
愛は世界を幸せにし、平和にし、救う力があります。
愛を求めて生きていきましょう。
人を愛することは、決して恥ずかしいことではありません。すばらしい生き方です。
暑い日が続きます。夏バテ、熱中症、夏風邪などに気をつけて下さい。
素敵な一日でありますようにお祈りいたします。
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