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2019年08月02日17:37

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自ら障害者手帳を持つ者として・・・

■ある“事件”がきっかけで我が子の発達障害を知った…母親たちの苦悩と願い
(AERA dot. - 06月19日 11:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5669853

「発達障害」この言葉がもっと早い時代に世の中に「浸透」してたのならば、と思う者の1人としての経験に基づいた立場から書きます。

私は成人してから、医療機関にて然るべき検査を受けて「能力的に、理系、特に図形と面積及び、空間把握力に欠けている」ことがわかった。

好きな漫画やゲームには夢中になり、直ぐに記憶したりする面をもつ私を「毒母」は勉強、特に算数を不得意とした私に「なんで、知的障害者でもないくせに、こんな問題もできないの!!」「おまえの知能指数は100以下か!?違うだろ!!単なる甘えなんだよ!!」と言ってはよく頭を結婚指輪をつけた指を持つ手で殴りつけてきた。

その一方で、社会、特に日本史は小1の時に初めて「マンガ日本の歴史」を手にした時から夢中になり、読みあさり、小6の頃には担任が日本史の授業を始めれば、日本史の本片手に「それはこうだよ、先生!!ほら、本に書いてあるよ!」という担任からすれば「非常に嫌なガキ」だった(苦笑)

鼻に黒い大きなアザがあったこともあり「イジメ」の対象にもなっていた。「学校に行きたくない」と言い出せば「毒母」は「じゃあ、こんな物いらないね!!」と言って、本が大好きで特に大切にしていた「日本史の本」を机から勝手に取り出し、壁に投げつけた。本が大好きな私からすれば「蛮行」だ。

そして、雪がつよく降る日に「毒母との最大の悲劇」が起きた。

「学校、ヤダ・・・行きたくない」と泣く私を「毒母」は雪がつよく降るなか、まるで荷物でも引きずるかのようにして学校に連れて行った。

私の泣き出す声に驚き振り向いた中学生の男の子達2人組の顔や表情にいたるまでを今も覚えているし、生涯、忘れることはないだろう。

それ以来、雪を見る度に、寒さを感じる度にこの日の出来事を思い出すようになった。
それまでは雪が降れば、妹と一緒に裏の小さな丘でソリで遊ぶことができるぐらいに元気だったのに・・・

話がかなりずれてしまったけれど・・・

私は今は「自ら障害者手帳を持つ社会福祉士」として福祉職に携わっている。

私のような思いをする子どもが少しでも減ることを「社会福祉士」として「経験者の1人」として願い、私にできることがあれば、社会に貢献してゆきたいと願っている。
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