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2019年07月30日21:15

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真剣な人間

■石破氏「NHK見たいと思わぬ」=N国に一定の支持も
(時事通信社 - 07月30日 19:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5728540


 今の時代は、金に忖度しているからとどの詰まり欲に負ける。

 何がうれしいのかわからないけれども、NHKも全体的に笑顔に媚びてやたらに嬉しそうにしゃべる番組が多くなっている。


 時代というのは流行を伴って世間や社会を形作るけれども、昭和、平成、令和、と来て戦後の加工貿易を中心とした経済成長は飽和に達したようなところで行き詰っているように感じられる。

 戦後は平和を基礎に成功と勝利と喜びと楽しみを目的として著しくそちら方向へ傾倒した。結果、利益至上主義、と言っても言い過ぎではない世の中が立ち現れてきた。幸せの基準に喜びと楽しみが据えられた時代だと言っていいんだろう。その世相は御喜楽主義と名付けてみたい気にもなる。


 人間は生き物である。生き物は死ぬまでの存在である。生と死は成功と失敗でもある。喜びと哀しみでもある。そうして生きて行く人間の本質は喜怒哀楽である。喜びと楽しみばかりがもてはやされる時代において悲しみと怒りは感情の中でも劣るもの喜びと楽しみを阻害するもの、と位置付けられているようにも感じられる。本来本質的には喜びと怒りと哀しみと楽しみは同じ重さで平等に存在する人間の感情である。怒りや哀しみを嫌悪して隔離しようとする社会は均衡を保てなくなりかけている。御喜楽主義に走る比較的恵まれて笑って暮らせてまた笑って暮らそうと心掛けているような人間は怒りや哀しみをただ憂う。そして捨てる。そして遠ざける。隔離する。そうして隔離された怒りや哀しみがどこかへたまって無差別殺人や猟奇犯罪のきっかけを醸成したりすることにもつながる。人間の本質的な均衡を欠いた偏って歪んだ社会が今だと言っても言い過ぎとは思わない。


 公共放送だというのなら人間の本質について真摯であってほしい。つまり真面目になって喜怒哀楽を大切にするべき。御喜楽主義に流されてうれしそうに笑って喜んだり楽しんだりすることに媚びるようならNHKの存在価値は下がる。公共の二文字も穢れる。

 民放が利益に依存して時代や金に流されるのは構造的に仕方がない。その構造に乗っかっているために数的に多いと思われるこの国の御喜楽主義者に傾倒していくことは否めない。だからいつでも民法はどこか不真面目で楽しい放送になって行く。NHKはなぜか視聴率を気にしてそんな民放の真似をするのだ。


 金にも利益にも喜びにも楽しみにも流されることなく人間の本質と公共性に真摯に取り組む放送局として真面目にただクソ真面目に硬い真実に基づいた番組を作り続けてほしいのに、・・・・現実は、。


 N国みたいなものとはちょっと立場は違うと思うけど、自分はNHKに対しては真面目で真摯な人間力にあふれた全人類的で普遍的な公共放送を望んでいる。今はちょっと残念な感じ。
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